教育基本法「改正」に見え隠れする「宗教的情操」の正体を問う

                                              小武正教

◇なぜ今、教育基本法の「改正」なのか
 
 §財界・資本の要求
  
 米ソ冷戦構造の崩壊後、アメリカによるグローバル化という名の世界支配の下で、日本の財
界等の独占資本が求める21世紀の国家戦略は、政治的・経済的・軍事的に、ますます対米従
属の下で、資本の対外進出をどう安全に確保していけるかということに焦点がそそがれてい
る。
  従って、そうした資本の要求をベースにしながら、政府によって、これまで打ち出されてきた、
そして今から打ち出されようしている、あらたな“期待される人間像”の姿が、教育基本法の
「改正」に示された人間像だともいえる。
 資本の側から国民に求めているものは、戦略上必要な要因として国際的競争に勝ち抜くた
めのかつての滅私奉公的な国家への犠牲的精神であるといえるだろう。さすがに、そうは言え
ないのでとりあえずは「国を守る気概を」とか、国民を一つに束ねてゆくたに「皇室を中心にし
た文化の尊重」とか、ゆるいストレートな ボ−ルが政府になげられるが、そのメッセージがそ
のまま国民に届いてきたわけではない。政府の側は、資本の求めに添う、特定の価値観、文
明観、人間観を意図的に選択し、それがあたかも普遍的な価値観であるかのように位置づ
け、さらには国家の公認を与えて、新たな「国民道徳」としてゆくという、変化球を投げる戦略を
とってきたのである。
 
 §家族的国家観を浸透させようとする政府の戦略
  
 戦前の日本社会の国家観は、家族の家長とその一員という関係がそのまま、「現人神」天皇
と臣民の関係で説明されるという家族的国家観であった。それは、自然的集団である家族とい
うものと、人為的集団である国家というものを「教育勅語」の洗脳によって、「和」の道徳のもと
に一体化させたものであった。
  戦前の価値観が憲法・教育基本法によって180度転換させられてから55年が過ぎ、再び今、
この度の中教審答申に「感謝」「奉仕」「伝統文化」、そして「人間の力を超えたものに対する畏
敬の念」を強調する内容が盛り込まれている。そしてその先に位置づけられているのが、「日
本人であることの自覚や、郷土や国を愛し、誇りに思う心をはぐくむ」という、「愛国心」である。
それは「家族」から「地域」へ、そして「地域」から「国家」へという誘導により、新たに国家への
帰属意識を強化していこうという戦略である。しかしそのやり方は、戦前の国家的洗脳とでもい
うような、「教育勅語」のようなハードな道徳的強制教育や、国家神道の強制というストレートな
宗教の導入ではなく、よりソフトな、しかし言葉を換えれば、より巧みな、「心の教育」という美名
の、人間の情操的面を巧みに誘導して、目的に適う国民を作りあげようというものである。
 もちろん1999年の「日の丸・君が代」の国旗・国家法の制定が、まさにその時の野中官房長
官の「強制されることはない」という言葉とは全く裏腹に、今学校現場で、先生の国家への帰属
の踏み絵とされているように、いかにソフトに語られても、一端法律として成立してしまえば、そ
の背後に隠されていた意図が正体を現し、牙をむくという構図になっていることは銘記しておか
ねばならない。

◇畏敬の念・宗教的情操の涵養が教育へ導入されてきた歴史
 
 §敗戦までの「宗教的情操」の位置づけ
 
  明治政府によって創り出された天皇制絶対主義国家は、「神聖にして侵すべからず」(帝国
憲法第三条)という天皇を頂点とする祭政一致国家であり、そのため国家神道を「宗教に非ざ
る」特権的地位を与えて、すべての宗教を国家神道の枠の中に規制した。
 教育においても、一応政教分離をうたってはいても、実際は「安寧秩序を妨げず及臣民たる
の義務に背かざる限」(帝国憲法第二八条)において認められているにすぎなかった。
  そのために、学校からは国家神道以外のいっさいの宗教を学校教育から排除していくもので
あった。
 しかし、日本に成立した資本主義は、日清・日露戦争、そして第一次世界大戦と、資本主義
体制の進展ととともに労働問題や社会問題を生起させ、そしてロシア革命の影響の中で学生
等の中から共産主義への共鳴者・参画者を生み出すこととなる。この事態に対し、政府は「思
想国難」の名の下に、対外的な侵略のさらなる遂行と、対内的な「思想統制」で切り抜ける政
策をとっていった。
  そのために導入されたのが学校教育への宗教教育導入である。宗教の国民生活への影響
力を利用して、共産主義思想などの影響をくい止めようというのである。したがって、諸宗教の
教育への導入といっても、あくまで国家神道の枠組みの中に限定したものであり、一方ではあ
くまでその枠に収まりきらない宗教の弾圧を伴うものであった。
  その導入方法が、「宗教的情操の涵養」であり、その「宗教的情操」の内容は「敬神崇祖」(現
人神・天皇を敬い、先祖を崇める)であった。その当たりの状況を山口和孝は次のように述べ
ている。
  「独占資本の要請した国民作りのための方策を審議した臨時教育会議は、(中略)明治
  以来の『知育偏重』『形式的修身教育』を克服し、共産主義勢力から『帝室・皇室』を守るた
  めに『宗教的信念というものの涵養』を通して『敬神崇祖の観念』を育成することが強調され
  た。特に女子教育においては『社会主義の為に社会が破壊されんと同様に児童の間から 
  国民性というものが破壊される』恐れがあるとして、家庭の中から思想『悪化』をくいとめる
  ための『宗教的信念の育成』がいわれたことに注目しておかねばならない」
                (『新教育課程と道徳教育』山口和孝 頁151)
 
 つまり、政府がいう「宗教的情操の涵養」とは、社会矛盾を人間の内面の問題にすり替えてし
まい、国民道徳として納得させるもので、社会を科学的に分析する力を削ぎ、覆い隠すもので
あったことがわかる。
 一九一二年に政府が特定宗教に「公認」を与えて以来、一九四五年の敗戦に至るまで、「宗
教的情操の涵養」の名の下に、諸宗教を動員して思想統制の徹底が計られていくのである。
  つまり「宗教的情操の涵養」の教科書はあくまで「教育勅語」であり、その具体的内容とは、
「御真影の奉安」「天照大神の奉斎」、そして「神社仏閣への参拝」「朝夕の神仏の礼拝」「祖霊
崇拝」に関する学校での諸行事、「皇大神宮」「忠君愛国」「祖先と家」「戦死者に対する感謝」、
そして「敬神崇祖」としての「感謝」あった。
  そしてそれらの「宗教的情操」を涵養しその先に目指したものが「天皇神格化」への「畏敬の
念」であった。現人神としての天皇への絶対的帰依の感情こそが、国家体制を維持してゆく手
段であったがために、それは当然の帰結でもある。
 一九三六年「宗教的情操涵養の方策」として当時募集された懸賞論文に一等当選した小学
校教諭の文章には次のようにある。
 「(畏敬の情とは)或る偉大なるものの力−(神仏)に怖れ、深く心霊の奥を叩いて、自己以上
の神霊と感応し、かたじけなさに涙こぼるるの情にむせぶの情に深められた感情である。そこ
には、神仏の大能を渇仰し、瞑想し、自己の如何に弱小なるものであるかを痛感して、罪障凡
夫のはかなさを真にさらけ出して、偉大なるものの前に、拝跪せずには居られぬ厳粛の感情
を伴うものである。皇大神宮を拝礼した時、寺の本堂で仏前に座らされた時、陛下の御親閲を
賜る時、怖ろしいが又、其処に尊厳侵し難い、而して、又何とはなしに引きつけられる宗教的
体験を縷々繰り返すことである」

§戦後の「宗教的情操の涵養」の展開
 
  一九四五年十二月、連合国総司令部は「神道指令」を発し、国家神道を政治・教育から分離
し、また「教育勅語」の排除・失効の決議によって国家神道体制は解体された。しかしそれを見
越した文部省は一九四五年九月、何とか国民の敬神崇祖の念を繋ぎとめようと画策していっ
たその戦略が「宗教的情操の涵養」であったことが先の山口和孝などの研究者によって明ら
かにされている。つまり戦後の宗教教育を引き継いだのが「宗教的情操の涵養であり、今、教
育基本法「改正」を画策する政府・文部省とのせめぎ合いは、すでに敗戦の時から準備されて
いたと言えるのである。
 一九五O年、修身教育の復活を提言して物議を醸した文部大臣・天野貞祐が、国民実践要
領(一九五一年)の中で、「人格と人間性は永遠絶対的なものに対する敬虔な宗教的心情によ
って一層深められる」と「教育勅語」に替わる道徳的基盤を「宗教的情操」にもとめることにあら
あれてきもきた。
 特に一九六六年には中央教育審議会が「期待される人間像」を打ち出したことが大きな分岐
点になっている。
 「生命の根元すなわち聖なるものに対する畏敬の念が真の宗教的情操であり、人間の尊厳
  と愛もそれに基づき、深い感謝の念もそこからわき、真の幸福もそれに基づく。しかもその
  ことはわれわれに天地を通して一貫する道があることを自覚させ、われわれに人間として 
  の使命を語らせる」
  しかしこの「期待される人間像」に対して、日教組は
  「『天皇への敬愛の念』を期待される人間像の核心的なものとしてすえ、国家の敬愛心にみ
   ちた、大国日本を賛美するような人間像を打ち出した」
          (『教育評論』「日本の教育はどうあるべきか」一九七一年八月)
と厳しく批判している。
  一九七七年の学習指導要領の中学校の道徳には、「人間の力を超えたものに対する畏敬の
念」の育成が示され、「人間の有限性」「超越的存在」「畏敬の念」という宗教的三要素のすべ
てがすでにでそろったのである。

§今回の中教審答申において

  読売新聞・産経新聞など、教育基本法「改正」の旗振りを行ってきたこれらの論調は一貫して
「宗教的情操の涵養」を「改正」案に盛り込むことであった。しかし、普遍的「宗教情操」をめぐ
る論議、そして政教分離を巡る論議などで委員の意見が二分し、今回の答申では見送られる
ことになった。「改正」の一方の目玉である「愛国心」が盛り込まれ、実はもう一方の目的ともい
うべき「宗教的情操」が見送られたということは、それだけ「宗教的情操」の方がハードルが高
ともいえるだろう。

◇普遍的「宗教的情操」なるものはあるか

  龍谷大学で学んでいた折、指導教授よりアメリカでの浄土真宗の教えを伝えていく上での困
難さを聞かされたことがある。浄土真宗の一番の要は「信心」であるが、それをキリスト教文化
圏のアメリカで「Faith(信仰)」と訳すと、人間が神(GOD)を仰ぐという内容として受け止めら
れ、「信心」の中にある「めざめ」ということが受け止められない。やはり「信心 Sinjin」でにない
と伝わらないと聞かされたことがある。宗教的情操の「普遍性」があるかということを考える上
で参考となる意見だと思う。
 またすでに見てきたように、明治以降の歴史の中で、「宗教的情操」とは、国家が国民を思想
統制するために、極めて政治的に作り出した概念であり、戦後も政府が導入し利用しようとし
てきた「宗教的情操」もその線に沿ったものであり、宗教や宗派を超えた人類共通の普遍的心
情などを求める中から生み出された概念でないことはあきらかである。
 また、宗教学者で教育改革国民会議の委員である山折哲雄も宗教教育導入を称えている。
しかしそれは既成宗教以外の回路、山折の言う「アニミズム的心性」(=古代神道)を提示し
て、国家への求心的意識を回復させようというものである。アニミズム的なものは「特定の宗
教」ではなく、「日本人の心」として、また「道徳性」として位置ずければ、公然と公的教育に持ち
込めるという論理である。しかしそうして位置づけようとする「宗教的情操」は、また、戦前に、
すべての宗教・宗派を超えた国民道徳として位置づけた国家神道にまさに極めて類似するも
のでもあることは銘記すべきであろう。
  岸本秀夫のように宗教学として普遍的「宗教的情操」を認めよようとする立場もあるが、それ
はあくまで、各宗教の宗教的心情を抽象化し客観化し分析したものにすぎない。具体的な信仰
からそれぞれの宗教的情操は誕生するのであり、抽象的・客観的なものから具体的宗教的心
情は生み出せるものでないという不可逆性を踏まえる時、普遍的「宗教的情操」はないと言わ
ざるを得ないだろう。

◇「畏敬の念」と「心のノート」

 一九七七年の「中学校学習指導要領」の改定の際、道徳の徳目に「人間が有限なものであ
るという自覚に立って、人間の力を超えたものに対して畏敬の念をもつように努める」ことが初
めて加えられ、これが「知育偏重」批判の上に打ち出された。今回の中教審答申においても
「畏敬の念」はキッチリと盛り込まれている。「畏敬の念」を盛り込む意図は、「畏敬」の対象が
「自然」であるとか、「人間を超えたおおいなるものだ」とかいわれても、その一連の流れからす
れば、それは「天皇」に帰着することは明白である。「畏敬の念」こそが「宗教的情操の涵養」を
盛り込む前の別名といってもいいだろう。
 そして「宗教的情操の涵養」を直接答申に盛り込めないことを先取りして、補う形で作られ、
すでに配布し実行に移されているのが、「心のノート」であるといえよう。今回の答申で、「宗教
的情操の教育は、道徳教育で一層充実させるべきだ」としているのが、まさにそれである。「心
のノート」は今まさに「国定教科書」として、政教分離に引っかかることもなく、「畏敬の念」という
宗教的情操を育て、それを「愛国心」に結びつける役割をはじめたのである。

◇教育基本法「改悪」を巡る宗教界(全日本仏教会・会長 大谷光真)
   の動き
 
§全日本仏教会(以下 全日仏)の「改正」への要望書
 
  二00三年二月四日付け、教育基本法の「改正」について、全日本仏教会より、理事長・森
和久の名で中央教育審議会あてに、特に九条(宗教教育)について、「教育の問題は宗教教
育の軽視」にあるとして「要望書」を提出している。
 「わが国におけるモラルの低下、青少年の犯罪、いじめ、学級崩壊、家庭、地域でのしつけや
教育に深刻な問題が生じているのも、一つには現行教育基本法の下で道徳教育止まりで、そ
の基礎ともなる宗教教育が過度に軽視されてきた結果であるといえます」(全日仏「要望書」) 
そして具体的に「改正」の方向で三点にわたって要望が出された。
@日本の伝統・文化の形成に寄与してきた宗教に関する基本的知識及び意義は、教育
  上これを 重視しなければならない。
A宗教に関する寛容の態度及び宗教的情操の涵養は、これを尊重する。
B国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗派教育その他宗教
  活動をしてはならない
@では「尊重」であったものを「重視」へ。Aでは「宗教的情操の涵養」を銘記し。Bでは「宗教
教育」を「宗派教育」として、公的教育現場における宗教教育全般の禁止ではなく、「宗派教
育」の禁止を要望するものである。
  なお3月20日に出された中教審答申では、「宗教に関する寛容の態度や知識、宗教の持つ
意義を尊重することが重要」との方向性が打ち出され、@の要望が通った形になっている。し
かし「宗教的情操」に関しては、答申の説明事項に、「道徳教育をもって充実をはかる」と記さ
れ、「要望書」からすれば不本意な結果となったわけである。
  全日本仏教会では教育基本法「改正」に向けて、中心となっているのが「宗教教育推進特別
委員会」の杉谷義純委員長(天台宗)と石上智康委員(浄土真宗本願寺派)である。
  中外日報(2003年24日号・26日号・29日号)において「公教育における宗教教育」として二氏
へのインタビューが掲載されているので、「改正」へ向けての意図を知ることができる。
  石上氏は「無国籍の宗教教育であってはならない」ということを強調され、「『国籍』と言ったっ
て、決して国粋主義とか反国際主義を主張しているんじゃない。蒸留水的な平等主義で教育を
議論するだけでいいか」と、全日仏の「要望書」は答申に盛り込まれた「日本の伝統・文化の尊
重」の線に添った主張であると述べている。
  この論調は言うまでもなく、教育基本法・憲法の「改正」を中心となって主張してきた中曽根元
総理大臣の「教育基本法は抽象的な項目だけで、日本の個性がない蒸留水だ」という言葉と
ピッタリ付合する。
  また石上氏は「宗教的情操教育に関する決議」(昭和二一年)が国会で行われながら、翌年
公布の教育基本法では原案にあった「宗教的情操の涵養」が除かれたことについて次のよう
に述べている。
「条文修正にGHQの意向が働いたということは定説になっていますね。国家神道と政治権力 
 の結びつきによる軍国主義の復活を一番恐れていたアメリカの占領政策に基づくも のでし
 ょう。そして『宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない』とい 
 う文章になった。宗教は人間の実存、人格の完成、個人の精神の救済にかかわるものす。 
 それが第一義。であるにもかかわらず、宗教の社会生活における地位、なんていうわけのわ
 からない現行の文章になってしまった。そして宗教的活動をしてはいけない、という条文も拡
 大解釈されていって、現場ではどんどん宗教教育が排除されていった。」
  
 石上氏の歴史認識が図らずも明らかになったとでもいえよう。日本国憲法成立の段階で、G
HQの押しつけを主張する人たちと全く同じように、この教育基本法成立に係わる過程におい
て、「宗教的情操の涵養」なる言葉で、国家神道体制を支えてきた「敬神崇祖」なる心情をいか
に、生き延びさせようとして画策して来たかということについての認識や反省がまるでないと言
わざるを得ない言動である。
 またそのことは、今全日本仏教会に所属する既成仏教教団が、戦前、「宗教的情操を涵養
する」ということで国家神道体制を推進することに大いなる役割を果たしてきたかということが
まるで忘却されたかのような意見である。

§全日本仏教会における石上常務理事・本願寺派宗会議長の動き

  全日仏が教育基本法「改正」について議論を積み上げてきたわけでないことは、全日仏の
「信教の自由に関する委員会」・委員・岡田弘隆さんの「意見具申書」によって明らかである。
2003年2月17日に急遽開かれた全日仏・常務理事会において「宗教教育推進特別委員会」が
設置されている。しかし、「意見具申書」によれば、「この委員会の立ち上げに関しましては、
『そもそも教育基本法を改正するのが、今この時期に妥当か否か、全仏として正しい選択かど
うか』について、真剣に議論された形跡がありません」と述べられている。
  さらには、全日仏から中教審への「要望書」はすでに2月4日に出されており、「要望書」が提
出されてから委員会が出来るという順序が逆となっている。「要望書」の内容はどこで、誰が決
定したのであろうか。
 そのためか今年10月1日付で出された『改めて意見書』では「全日仏内部での非公式の論議
の中からも、引き続き疑問の声が出ており、そこで急遽、前記『宗教教育推進特別委員会』の
杉谷義純委員長や石上智康委員等が、「全仏加盟中有力11教団宗派の宗務総長らを個別に
訪問して、改めて特別委員会への賛同を取り付けることとなったと、伝えられております」と述
べられているが、全日仏として十分な議論もないままに、一部委員の独走で教育基本法「改
正」の要望書が提出されたのではないかと思われる。
 岩上氏は2002年12月14日に、京都で開かれた一日中央教育審議会で全日本仏教会理事と
して意見発表をしている。その内容は教育基本法第九条(宗教教育)の「改正」を求めるもの
で、全日仏の「要望書」の内容と一致するのである。
 また石上氏は、2002年6月「新しい国立追悼施設を作る会」の準備委員会に名を連ね、政府
に「要望書」を提出を提出したことは記憶にあたらしい。
 そしてまた石上氏は全く同じ2002年6月18日には政府の宗教法人審議会委員となっているこ
とも気にかかるところである。

§備後・靖念会の抗議・申し入れ  備後靖念会・全日本仏教会へ要望書
  
 石上智康氏は浄土真宗本願寺派の宗会議長という、本願寺派の中で公的な立場をもってい
る。「宗会議長が全日仏の理事になることになっている」という本願寺の慣例からすれば、全日
仏常務理事というのは本願寺教団宗会議長の宛職である。
 備後・靖念会として、2003年7月17日に本願寺へ「宗門内の議論を全く置き去りにして、全日
仏において「教育基本法・『改正』を求める行動を慎むように」等という「要望書」を提出した際
のことである。藤田誓之・公室次長ははっきりと述べている。「石上議長には、全日仏の理事を
委任しているが、内容まで委任しているわけではない」「委任の内容については確認させてほし
い」と宿題となっている。全日仏の理事に本願寺教団の代表として出ている以上は、教団内の
意見を持って全日仏で行動するのが当然であるにもかかわらず、全日仏での活動内容は、石
上氏個人の考えによって、それも浄土真宗本願寺派を看板にして、教育基本法「改正」の旗を
振るという極めて歪んだものになっている。
 先の中外日報のインタビューでは、記者より、「靖国問題などで政教分離に関して意識を持っ
て活動している宗門内の人々からの反対は予想されていますか?」という質問に対すして「今
のところは出ていないね。顕在化していない」と答えているが、それもそのはず、その手法は、
全日仏でのやり方と同じで、本願寺教団へ事前の議論の場どころか、情報提供さえない。
 しかし、それでも独自に情報を入手した私たちの備後・靖念会をはじめ、多くの会から抗議
文・要望書が全日仏・石上氏、本願寺に送られていることを申し添えておく。

◇おわりに 教育基本法が悪いから学校が荒れるのか?
  
 学校教育に「いのちの大切さ」などの宗教的情操教育が欠落してきたから、神戸や長崎など
の青少年犯罪が起こるのだという論法で、教育基本法「改正」を求める論調がマスコミの一部
にあるし、全日仏はここぞとばかりにその線に乗って宗教教育の必要性を求めている。
 しかし、はたしてそうであろうか。私は「教育問題」と「宗教的情操」を声高に言う人がとても本
気でそう考えているとは思えないのである。
 たとえば一例を揚げれば、教育基本法「改正」の先頭に立っている「神の国発言」で名を馳せ
た森前首相である。森前首相は宗教教育にも熱心で「学校でも宗教を教えるべきだ」と発言し
ている。その森前首相が、急死した小渕恵三元首相の葬儀で「あなたは天国に召されていっ
たのです」と呼びかけたことは有名である。つまり別の意図があって、「宗教的情操の涵養を」
と言っていることがあまりにもバレバレなわけだが、それをマスコミの過剰報道が覆い隠してい
るという構図になっている。
 ある学者の言葉だが、日本とは違って、学校教育の中に宗教を取り入れているアメリカにお
いて、青少年の犯罪が桁違いに多いということを考えれば、「学校教育に宗教的情操が欠落し
ているから犯罪が起こる」というレトリックはすぐに崩壊するという一言は、みごとに的を得てい
るといえよう。
  では何が原因で、学校が荒れるのか?。国連の子ども人権委員会の勧告はこう日本の教育
について述べている。
 「日本の子どもたちは、競争の激しい教育制度により、身体的・精神的発達障害が起こり、
不登校などがおこっていると」と。
  平和で文化的な人間を育てる立場の教育基本法が、いじめなどの原因でないことは明らか
である。むしろ教育基本法をないがしろにし、具体化できなかったことをこそ、今反省していか
なくてはならないといえるのではないか。


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