福政代表のあいさつ

 
 私自身が高暮ダムの調査に係わりはじめて丁度30年になります。その後高暮ダム強制連行
を調査する会として、仲間の皆さんと活動を始めて、もう 6年目に入るんじゃないかと思いま
す。今まで高暮ダムの堰堤の上で4回の謝罪の追悼式を行って参りましたが、それに参列頂
いた方は顔なじみになっていただいていますが、今日初めて御遺骨に会われる方もあろうと思
います。私たちの会は高暮小学校の卒業生台帳によって朝鮮半島の本籍地が判りりました。
そこへ行って調査しました。山の奥の小さな村でした。その村の村役場・面事務所といいます
が、そこで、広島県双三郡君田村水日原164番地で亡くなられたという「沈(シム)」さんという名
前が当時の君田村役場から死亡通知が行ってたわけですね。君田村には水日原というのは
ありません。水と日を一緒にした沓原(くつがはら)ですね。そして164番地を記録して帰ってす
ぐ掘りました。そこは細谷さんというお方の土地でした。細谷さんは広島の方へお出ででした。
こんなほんの僅かな手づるを捜しながら、今日まで高暮ダムの強制連行・強制労働の足跡と
いうものをほんとに手探り状態の中で探してきたわけです。そしてわれわれの会で掘ることの
出来た遺骨が皆様方の目の前にあります。
 お手元に配布されていると思いますが、高暮ニュース『高暮』。これまで皆さま方にいろいろ
のお願いをしておりますが、いつまでもこの御遺骨を日本の地へ置いておくことは忍びない。今
回、8月22日、8月22日にこだわってきたのは俗に言う『日韓併合』の日なんですね。その日に
こだわっていろいろ土地を捜しましたけれども結果的に、ソウルから北86キロに天安(チョナ
ン)という町があります。そこにあります国立墓地・望郷の丘という、国外で亡くなられた朝鮮半
島の方々の御遺骨を個人の墓、合同の墓として納めている所ですが、この度は日本人として
の謝罪碑を建立させていただこう、その建立の除幕に合わせて、この遺骨を納骨堂にお返しし
よう。
 今一度、強制連行・強制労働の真実に迫るために、再び高暮ダムに光を当てたい、といった
思いから今日の集会を開くことに致しました。
 ご案内にありますように、境港市の朴 泳来さんに後ほどまさに証言を頂きますので、十分お
聞き取り頂きたいと思います。このことを後々まで語り継ぐことがこの県北の地にある者の使
命ではないかと思います。
 また今日は四車先生においでていただいておりますが、教育の現場のなかで、今日は教育
労働者の皆さんにもおいでて頂いておりますので、現場でどういう形で語り伝えていけばいい
のか、一つの実践ということで、四車先生の方から講演をお聞き頂きたいと思います。



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