浄土真宗本願寺派総長 
不二川公勝 様
          2005年4月8日
備後教区三次組西善寺住職 小武正教
電/FAX  0824-63-8042

お尋ねの事


        「親鸞聖人750回大遠忌についての消息」に記載された、「源空聖人」の記述
    について、本願寺教団で使われてきた「聖人」と「上人」の使い分けからみ
    ると、特異に思れます。
    @源空「聖人」と記述されたわけについてお尋ねいたします。
  A本願寺教団における「聖人」と「上人」の使い分けをどのように認識されて
  いるかお尋ねします。


  今から6年前、「蓮如上人五百回遠忌法要ご満座のご消息」がだされ配布されたさい、「親鸞
聖人」とすべきところが「親鸞上人」と印刷されており、ただちに回収するとともに、宗会でも質
問がなされ大きな問題となったことがあります。(資料1参照)
  その折、私は仏教タイムスから依頼を受けて「親鸞聖人と親鸞上人−「御消息」誤記から見
えてくるもの」(1999.11.18)という文章を発表しました。そこであきらかにしたことは、親鸞聖人
自身は、律令仏教の位の尊称であった「上人」ということばを著作のどこにもつかわれず、「聖
人」で一貫されていること。親鸞聖人亡き後、三代覚如の時代、「法然聖人」に対しては「親鸞
上人」、単独の場合は「親鸞聖人」、そして歴代を「上人」と使いわけていること。時代を経て、
八代蓮如の時代になると「法然聖人」にたいしても「親鸞聖人」、そして歴代門主を「上人」とし
ていること。さらに江戸期になると基本的に、「法然上人」と「親鸞聖人」、そして歴代を「上人」
と書き分けていることです。明治以降はハッキリとその伝統を踏まえてきています。(資料2参
照)
 そこに見えてくるのは、親鸞聖人以降に、「聖人」と「上人」を教団内で書き分けることが、教
団内に対しての位置と秩序を示すということと繋がっていると考えざるをえません。今でもその
使い分けのもとで、本山からの出版物は出されていますし、得度考査などは行われています。
 
 しかし、「誤記事件」の翌年、2000年 5月号の『大乗』の「信仰相談室」のコーナーで「「上人」
と「聖人」の違いは?」という問いへの答えは次のようなものでした。
 「しかし、どちらも尊いお方を褒め称えた言葉でありますから、「聖人」の方が 「上人」より上
だ、もしくはその逆だというように受け止めるのもおかしい気が します。−中略−ですから、現
在一般に使われている尊称は、混乱を避けるため に、一応のきまりとして定められていると
考えていただけたらと思います。尊称 の違いについて、あまりにこだわりすぎて、本願の念仏
を私に伝えてくださった 方々に序列をつけるようなことになっては、親鸞聖人のおこころに背く
ことにな ってしまいますので、気をつけたいものです」と。(資料3参照)
  しかしこの文章は、本願寺教団が、「聖人」と「上人」使い分けてきたことの事実を明らかに
し、踏まえるという点が抜け落ちてしまっていると私は思います。
 
  そして、今年の 「親鸞聖人750回大遠忌についての消息」に記載された「源空聖人」の問題
です。業界誌によれば、「『源空聖人』は(印刷)ミスではないのか」との総局巡回での問いに
「七高僧の御影の銘に「黒谷法然聖人」と記されていることなどを理由の一つとして指摘した」
と書かれていますが、「ご消息」の「源空聖人」は御聖教や歴史的資料を引用したものではない
ので答えになっていないことはいうまでもありません。さらには、「『ご門主のご意向を体したも
の』などと説明」と書かれてあり、一層不審に思わざるをえません(資料4参照)。
  もしそれが事実なら、私は「「聖人」と「上人」」の言葉をめぐる、教団のトリプルスタンダード
といってもいい姿勢があるように思います。
 
 @本願寺教団内の上下の秩序として、現在も「聖人」と「上人」を使い分けている。
  Aしかし、ご門徒向けには、「混乱をさけるために一応のきまり」と言って、どちらが上
  とか下とか言わないという。
  Bご門主の出される「ご消息」については、@ の制約の限りではない。
 
 こうしたことが起こってくるのは、たとえ「聖人」と「上人」という一つの尊称であっても、教団が
歴史的な総括をし、それを教団内外に明らかにした上でものごとが行われないからではないか
と思い、お尋ねをさせていただく次第です。
 
  すでに今年3月初め、中央相談員さんに口頭でお尋ねしていますが、返事を頂いておりませ
ん。親鸞聖人750年法要の計画も出されている状況ですので、出来るだけ早くにご回答をお願
いいたします。

以    上




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