宗制「改正」案の問題点と提案
                                                小武正教

 
 @教団の憲法ともいうべき宗制が、教団内の僧侶・門徒そして各種教化 
  団体の十分な議論の時間がない中で決定されかねない状況について、
  宗制軽視ともいうべき危惧を覚えざるをえない。


 *12月初めにとどく『宗報』(11.12月合併号)に「『浄土真宗本願寺派宗制』の改正について 
  −ご報告−』を掲載し、「ご意見などございましたら、本年12月末日までに」ということで意見
  を聞くという進め方は、あまりに拙速、そして門徒無視といわざるをえない。基幹運動として
  進めてきた「僧侶と門徒の課題の共有」は、宗制という、教団の根本に関わる問題だからこ
  そ、一緒に課題とするべきことがらではないか。

 ▽提案 
  次期宗会で宗制「改正」案を審議するというような拙速なことを止めさせ、教団内で十分な 
  論議をする期間を持つことを求める。

 Aこの「改正」案を一言で言えば“ 「同朋教団」から「門主教団」へ回帰”
  
  *この度提案された宗制「改正」案の幹ともいうべきものは、「同朋教団」の文言が削除さ 
   れたことの対極に、門主の血脈相承の教団ということが大きく打ち出されていることが最
   も大きな「改正」点ではないか。
   現宗制ににおいて歴史的に本願寺は血脈であるとしてきたものを、その文言を「宗風」と
   いう、現在の教団の有りようを示す所の先頭に掲げるということは、この宗制がいかなる
   教団をめざすのかという意図が如実にあらわれているといわざるをえない。
   現宗制の「同朋教団」という文言の削除にとってかわっているということはまさに象徴的で
   ある。

  ▽「同朋教団」を名実ともに目指すことは、本願寺教団の生命線

  *本願寺教団が存在する意義は、一にも二にも、「御同朋の社会をめざして」という一語
    に尽くされている。そのために、まず本願寺教団が名実共に同朋教団を目指して進むと
    いうことに基幹運動(同朋運動50年、門信徒会運動40年)の歴史があるといっても過言 
   ではない。


  ▽提案
   「本宗門は、本願寺を本山とし、宗祖親鸞聖人を初代、その孫の如信を第2代、宗祖の曾
   孫覚如を第3代とし、爾来宗祖の子孫を門主(宗主)として次第相承されてきた」の文言を
   宗風から削除し、宗風の先頭に「同朋教団」の文言を復活させるよう求めていく。


 B基幹運動の成果から「改正」案に取り入れられている点は、「同朋教 
   団」という幹があって実る内容であること。
  
 *「人道を履践し、世法を遵守し」「言行を慎み、道徳を守り」というような直接的な真俗二諦
   の真宗理解の表現、さらには「見真大師」という大師号、さらには聖教として問題となって
   きた「歴代宗主の撰述」が除かれるなどの、今日までの基幹運動の取り組みが確かに取
   り入れられているが、あくまでそれは「同朋教団」という幹があってのことである。


 
 C宗制「改正」案にみる教学理解で、親鸞聖人750年から、さらには21
  世紀を見通して、本願寺教団が社会に存在する意義を果たしていける
  のか。

 *本願寺教団の抱え込んでいる非同朋教団の制度や慣習を抉り出し、さらには「御同朋の 
  社会をめざす」という、教団の社会的存在意義を果たしていくために、現行宗制さらには宗
  制「改正」に見る「信心正因・称名報恩」という教学理解は大きな問題がある。「称名」を「報
  恩行」に限定していく教学理解からは、教団の差別の現実へ向き合い、取り組む行動は生
  まれてこなかった。今まで基幹運動では「信心の社会性」を課題にしていくという視点から 
  その点を克服しようとしてきた。

 ▽提案
   「信心正因・称名報恩」の言葉に変わって、「称名報恩」を削除し「信心正因」だけを残す。



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