学力テストの公開を憂う親の会代表 小武正教
◇吉岡三次市長のいう教育改革
三年前、福岡三次市長が急逝し、市長選挙の結果、吉岡市長が誕生し、全くのトップダウン
式の独善的な市政が進められてきた。特に「市民はお客さま」をキャッチフレーズにかかげる 一方で市役所の職員の超過勤務は目に余るものがあり、心労と過労とで毎年の早期退職者 は異常な数にのぼっている。下からの意見などは全く聞く耳を持たず、市長の立てたプランを いかに実行していくかに追いまくられていくというのが実状のようである。ついに過労でで死亡 する人も出てしまっている。市長は組合活動をしている職員や素直に言うことを聞かない職員 に対しては、人事権を濫用して容赦ない人事をおこない、逆に自分の意見のイエスマンを重用 するというあからさまな事もおこなわれている。
本来ならば教育行政は市とは独立した立場を持っているはずのものであるが、市長と教育
長との関係はまるで主君と家来のようで、市長が平気で「わたしの方針とちがう先生のは遠く にいってもらう」と学校の先生の人事の事などについて発言しても、その側で教育長は、小さく 背中を丸めて下を向いていたのが実体である。「学校の先生の意識を変えなくてはいけない」 ということを市長は常に口にする。ではどういうように変えるかというと、一言で言えば、「学力 を伸ばすプロになれ」ということになる。市長にとっては「学力」とは「テストの点数」であって、他 の部分に比べて、そこへの関心が飛び抜けている。教育特区を国から取り市費を投じて独自 に先生を雇い二十人学級の実現が謳い文句である。しかしその二十人学級とは英語や数学 などの習熟度別学級のことで出来る子を伸ばすという中に、生徒間に優劣を持ち込むことにも なっている。もちろん市長が教育改革という名で押し進めようとしているものは、文部科学省の 学力向上路線に乗ったもので、「エリート教育」を押し進め、そのためには「出来ない子どもに は従順さを植え付け」ようとするものであることは言うまでもない。市長は十年で三次市を教育 日本一にするともあちこちで語っている。この日本一とは有名大学に地元の高校から何人入っ たかというもので、いかにも元々が進学塾を経営していた市長の発想しそうな事ではある。
◇市内全小中学校の学力テストの市公報への公開
二00二年度には広島県全体で小学校五年生と中学校二年生の学力テストが行われ、各市
町村単位の平均点が公開されるということがあった。さらに、県教委は各市町村教育委員会 に学校ごとの成績を公表するよう指導した結果、三次市も成績を公表している。その結果、三 次市でも「何で◯◯学校の平均点はあんなに低いんだ」ということを市会議員が発言し、教員 にプレッシャーをかけるというようなことが既に起きていた。
さらに二00三年度には三次市独自に小学校二年生から中学校三年生までを対象にして業
者による学力テストを行い、三次市の広報とホームページに平均点などの詳細な一覧を公表 することが実施されたのである。学校現場には一切の相談はなし、校長先生に対しては「実施 します」という、実際の所、指示としておろされたと某校長はその様子を教えてくれた。一学年 五人以下の学校は平均点を公表しないが六人以上は公表するというもので、小さな学校では 平均点が低い場合、何故かということはおよそ見当はつくのである。さらに市広報への公開は 一切保護者への連絡も何もない中ですすめられていた。懇意な市会議員からその情報をもら ったのが6月の半ば、すでにテストは実施されており、後は七月の市広報への公表に向けて平 均点を出して刷り上がるばかりの段階であった。
とりあえず六月十六日、一保護者として「学校別の学力テスト平均点 非公開」を求め
教育長に対して面談し申しいれをした。そして急遽何人かの保護者と相談して、「学力テストの
公開を憂う親の会」を作り、私が代表となり署名を集めることとしたのである。
学力テストの公開に当たり、憂う視点を六あげた。
1,学校別に公開されるということですが、テストそれも国語・算数の点数によって、学 校の優
劣の意識が、保護者・子ども・地域に生まれはしないでしょうか。
2,義務教育の中で、学校の優劣が生まれてよよいのでしょうか。
3,学校の優劣がいわれる中で、自分の子どもが学校の平均点を押し上げたのか、それと
も、下げてしまったのかとても心配です。
4,学校の評判が、テストの点数によって、あがったり下がったりすることに保護者とし ての責
任も感じます。
5,保護者や子どもどうしのなかに、学校の点数が悪かったと評判になったとき、「あの 子が
点数を下げた」とか、「○○さんがいなければもっと点数が良かったのに」とか、 子どもや保 護者の中に、責任転換の論議や差別意識が生まれないかと心配します。
6,上記のことにより、子どもたちはもちろん、本来協力しあわなければならない保護者 どうし
も、ばらばらになってしまわないかととても心配です。
そして二つの事を要望した。
1,公開するのであれば、こども・保護者に、公開についての承諾を得るべきではない
でしょうか。公開承諾の手続きをお願いします。
2,公開を承諾されない子どもの点数は、学校の平均から削除して公開されることをお
願 いします。
テストの点数は誰のものかといえばいうまでもなく子どものものであることは対談した教育長
にも異論のないところであった。その点数を平均点として公表されることは、先に述べたような 点を心配するので、保護者としてそれを拒否したいという戦術である。もちろん公開してほしく ないと申し入れた子どもの点数を削除した平均点は平均点としての意味を失うので要望が通 れば目的は達成されるというものである。
六月三十日には五十九世帯子ども百人分、次いで七月七日には七十五世帯九十七人分を
提出した。教育長は、「主旨は承りました、考えさせていただきます」と言って対応しながら、実 際には広報紙はすでに七月十日の配布にむけて輪転機が回っていたことを後で知ったのであ る。
◇署名した者の職業を調べて
更に学力テストの平均点公表の問題は市の(それは市長の)行政の進め方をいみじくもさら
け出すこととなった。毎年夏に地域で行われる市の行政懇談会に(昨年八月四日)に私が出 席していた時のことである。市長の市政報告の中で、「学力テストの公表に反対しているのは 学校の先生ばかりで、七割は先生で、市役所の職員なども署名している」と発言し、さも先生 が先導して行っている公務員として怪しからん行為だという発言をしたのである。驚いた私は、 「署名を二回とも持っていったのは私だが七割の根拠は何か?」と問うと、隣りにいた教育長 があわてて市長に、「市長三割です」とのべて市長が数字を訂正するというドタバタ劇が演じら れた。さらに、「私が持って行った署名欄には住所・名前はあっても職業欄がないのになぜ先 生の割合が出てきたのか?、誰が調べたのか」と問うと、市長は顔色を失って、最初の報告の 時には、「誰が反対しているか調べなくてはいけない」から調べたといっていた言葉をひるがえ して、「見ただけだ」と逃げの一手となった。それはそうであろう、「テストの点数という個人情報 の取り扱いには細心の注意をはらいますから平均点の公開に理解をしてくれ」と一方では言っ ておきながら、署名をして提出した人間の名前を辿って職業を調べて、「先生が何割だ」「怪し からん」と公開の場で喋るとは、甚だしい個人情報の流用である。
その後教育長と市長に対して、誰がどのように、何の意図を持って調べたのかを公開するよ
う抗議の要望書を提出し、教育長と話し合いを続けている。教育長は「管轄下にある人間が何 人いたかを知るため見た」「市長には情報の共有化をはかるために情報を提供した」と白をき っている。しかしそれをもって市長が「学校の教職員や市役所の職員が、市の決めた方針に 反対することは公務員としてあるまじきことだ」という発言を繰り返し恫喝をかけているわけで ある。もちろん署名をしたのは先生としではなくて、一保護者としての行為であるから何ら問題 となるはずのないことはいうまでもない。
まさに公権力を利用し、個人の思想・信条まで介入して縛りつけ、なおかつその市長が道徳
を説くのである。「反対の意見であっても、きめられたことを守らなければ子どもの道徳がみだ れる」と。一切の意見を聞かず、すべてを一方的にきめておいて(手続き的にだけは手順を踏 んだ形に整えて)守らないものは不道徳であると四十五歳の市長が、年輩の者に説教をた れ、恫喝するという異常事態が三年つづいている。この学力テストの問題だけでなく、旧三次 市平和人権センターの問題でも市長に面会要求を申し込んだが、私には一度も市長は会おう としない。「市民の声を聞かせてください」「市民が主役の三次市です」と今も看板はかかってお り、市長の口癖である。昨年秋総務課長が面会要求をもとめる私にこういった、「小武さん、市 長が自分に反対する人間に会うわけがないじゃないですか」と。そうなのだ「(私に賛成する)市 民の声を聞かせてください」「私(市長)が主役の三次市です」というのがこの三年のいつわらざ る姿であった。
※実はこの文章を書いているのは4月18日三次市長選挙の投票日、現在午後九時である。
こ れから事務所に駆けつける。そして帰って最後の一文を書くことにする。
結果は、一九七七七(前市長)、一八二0五(新人)は一五七二票差の負けであった。
春はまだ遠いいが、三年前にダブルスコアーで負けた時からすると、まさに惜敗であっ た。
小学校の前に立てている掲示板に、「教育とは 希望をかたることである」というルイ ・アラ
ゴンの言葉を書きながら、これからの来るであろう荒波へ向かっていきたいと思 っている。
※わたしは小学校のPTA会長に立候補して信任された。その時のあいさつにこう語った。「子
ど もの防波堤になってやるのが親であり先生でしょう。共に考えていきましょう」と。
※ 「学力テストの公開を憂う親の会」ホームページ http://www.saizenji.com/page048.html
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