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宇部西岐波の海岸で韓国遺族会が長生炭鉱水非常13回追悼式
例年になくおだやかな1月31日、宇部線床波駅から宇部方面に徒歩で約7分。海岸に2本
のピーア(換気塔)が見える海岸につく。追悼式は、韓国遺族会から12名参加のもとピーアの 見える海岸のそばで行なわれた。式は「長生炭鉱水非常を心に刻む会」代表の山口武信氏 が、もう少しで犠牲者の追悼碑を建設できるところまでこぎつけたとこれまでの活動経過を報 告され、韓国遺族会を代表して孫鳳秀(ソンボンス)氏は、小泉首相の靖国参拝、再び戦争す る国に向かう政策を批判し「本命が刻まれた慰霊碑の建設を一日も早く実現したい」と挨拶さ れた。朝鮮式の慰霊式のあと内海に浮かぶ2本のピーアに向かって花束を捧げる遺族たち は、海底に眠るアボジに向かって"今年も会いにきました。62年も冷たい海底に眠っていると 思うと胸がはり裂けそうです。アボジ・聞こえますか"と叫びこれまで苦労したことを告げる。
最寄の集会所での交流会は、遺族の紹介につづいて昨年の追悼式のビデオ鑑賞。そのあと
「高暮ダム強制連行を調査する会」代表福政康夫氏が昨年8月22日、韓国天安市の望郷の 丘に高暮ダム犠牲者の遺骨の祖国返還と加害反省碑建立が実現したことを話した。
事故当時、地元小学校の4年のとき事故に遭われ、5年前オモニと共に長生追悼に参加され
た全錫虎(チョンソクホ)さんは「いいことをしてくれましたね」と喜ばれた。高暮ダムの謝罪碑の 場所探しでお世話になった遺族会会長の金亨洙さんは「望郷の丘なら国が責任を持って管理 してくれますから安心ですよ」といった。会長の金さんには朝鮮半島を後にした釜山に場所探し をお願いしたことがあるだけにその一言は嬉しかった。
遺族たちは、犠牲となった場所が目の前の海底で遺骨収集ができないもどかしさを感じておら
れることだろう。私たちは高暮ダムで働かれた当事者を探している。お互いに協力共同しなが ら戦争責任加害問題を取り組んでゆける糸口にしたい。
長生炭鉱水非常とは
1942年2月3日未明、宇部市西岐波の長生炭鉱で水没事故が起こりました。そのとき構内で
働いていた抗の犠牲者200名(現在183名確定)が、当時、朝鮮半島から強制的につれてこ られた抗夫でした。その後、犠牲者は一人として遺体を引き上げることなく、冷たい海底に眠っ たまま現在にいたっています。事故にあった2月3日前後には、毎年、韓国からご遺族をお招 きして追悼式を行なっています。(「長生炭鉱水非常を歴史に刻む会」追悼式のご案内より)
2月20日 塚本勝彦
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この下に犠牲者が! 遺族12名による追悼の式 交流会で高暮の説明をする
福政さん
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