1、近代国民国家とその宗教性
近代国家とは何か。様々な定義が可能であろうが、基本的なところでは国家主権機関(ステ
ート)と国際的に画定された領土、そして構成員たる国民(ネイション)を成立要件として成立し た<国民‐国家>(ネイション・ステート)である。伝統的な国家と国民国家との大きな相違は、 国内が一元的権力によって統合されており、合法的暴力が国家機関によって独占されている ことである。そして、その近代国民国家による暴力は構成員の生命の与奪のみならず、それ 以前の国家ではほとんどなかった傾向として、生きているものを日常的に監視・管理するという 権力となる。さらにその権力は国家機構が一方的に行使するものではなく、国民自身がそれを 受容し、また行使するというものであって、単純な<支配‐被支配>の関係では国民国家にお ける権力関係は語りえない。すなわち、構成員たる国民はその権力を行使される対象であると ともに、日常的に監視・管理する権力を行使するという関係にあって、それは他者のみに向か うものではなく、学校・職場・軍隊などにおける規律教育によって自己にも内面化される。相互 管理と相互監視、そして自己管理と自己監視の複雑に入り組んだシステムの中で<国民>と いうパーソナリティが形成されるのである。そういう意味で近現代という時代は歴史上最も国家 がその構成員の精神に介入し、その人格を支配している時代だといえよう。
その管理と監視を正当化しているのが、国家有機体説的な社会全体の生存ということであ
る。国家の暴力によって構成員の生存が保障されているから、構成員はその権力を受容する ことで、自らの生存が保障されるという考え方にもとづく。そのような社会では社会権を優先さ せて自由権はその犠牲となり、やがて人権は自由なき生存権(それは自己の生命が国家に奪 われるかもしれないという、奇妙な「生存」権である)のみに矮小化される。生きていければいい じゃないか、というわけある。そして、合法的暴力を独占した国家によって発動される戦争もま た、社会全体の生存を名目に行なわれる。伝統的な国家では君主の名において行なわれた 戦争が国民国家においては、国民とその生存を保障する(とされる)国家全体の名において行 なわれる。これは「非人道的で軍国主義的な国家」でも「人道的で平和的な国家」でも同様であ る。したがって、その戦争での死者は、社会全体、国家・国民全体の生存のための「犠牲者」と して記憶されることとなる。すなわち、死者たちは「われわれの」死者(それが敵味方問わない としても)として、国民国家全体で「慰霊」「追悼」されるべき存在となるのである。それは国家か らの要求であるとともに、国民国家の社会システムにおいて<国民>化された構成員の要求 ともなる。このことは、近代国民国家における権力の特色を象徴しているといえるだろう。つま り、国家の要求が構成員の意に反して強制されるというよりも、むしろ<国民>化された構成 員の側が国家の要求そのものを内面化してそれを行使しているのである。そして、彼らは<国 民>化を拒む異端者を監視し、内面まで管理しようとする。
近代国民国家によって行なわれる、戦死者追悼は、<国民>の要求として、<国民>の名
による、国家・国民全体の生存のための「犠牲者」=「われわれの」死者に対する、国民国家全 体での「慰霊」「追悼」である。唯一の合法的暴力装置となった国民国家が国民国家全体の生 存を守る、という国家有機体説的信念を<国民>に再確認させる国家儀礼という国家による 戦死者追悼の性格は国民国家が国民国家であるかぎり、拭い去ることはできない。国民国家 が継続されているのはこの信念が<国民>に内面化されているからであり、戦争主体として も、それによって<国民>に戦争を納得させ、動員させているからである。
国家の宗教性とは、このようなことをいう。すなわち、国民国家が国民国家全体の生存を守
るのであって、その国家による戦争での死者は国家・国民全体の生存のための「犠牲者」= 「われわれの」死者であって、国民国家全体での「慰霊」「追悼」するべき、という教義をもち、国 家儀礼を行って、<国民>にその教義を内面化(国家の精神への介入)させるという性質を国 民国家はもっているのである。それは「生存のための犠牲」を称えるもので、個人の宗教的人 格にかかわる生き死にの問題への介入である。生死の問題は極めて宗教的な問題である。 それを定義づける「内実」のある儀式や施設を特定の宗派に偏らないからといって、「無宗教 だ」などと言えるだろうか。国家による追悼は国民国家そのものの性格からして、国家と<国 民>が定義した<生き方‐死に方>を内面化させる、国家による宗教行為に他ならない。
2、真宗者における戦死者追悼と国立追悼施設
被害者であれ、加害者であれ、その両方であれ、戦争で殺されたことを「今日の平和を築くも
ととなった尊い犠牲」などといって称えるのは、臨終の善悪を問わないという、私たちの宗教へ の侵犯である。それが「顕彰」ではなく「追悼」という名目であっても、殺された者を称える信仰を 私は持ち合わせていない。
しかしながら、同じ真宗の教えを聞いているはずの人々のなかには、「自身の死を含めた自己
犠牲を覚悟しても」信仰者個人として平和を求めることは「賞賛に値する」(石上智康「仏教と平 和の選択」)と言ったり、それに賛意を示す教団人もいる。死を覚悟して何かの大義を果たそう とすることを「賞賛」するのは武士道ではありうるだろうが、たとえ仏教徒が理想とする絶対平 和のための行動であっても、それに「賞賛」をもって応えるのが真宗者の態度と言えるのか疑 問である。
承元の法難において、法然門下の安楽・住蓮らは死刑になっている。これについて後年、
親鸞はこの死を宗教的殉死として「賞賛」したりはせず、この時、なぜこのような<殺し‐殺され る>というような関係が生まれたのかを『教行信証』の「後序」(この名称ならびに『教行信証』 全体でのこの部分の位置づけをめぐる問題について私は藤場俊基『親鸞の教行信証を読み 解く』に賛同するので参照されたい。)に後鳥羽上皇や土御門天皇、興福寺学徒の名をあげて 経緯を述べ、「法に背き義に違し、忿りを成し怨みを結ぶ」と批判している。親鸞が国家によっ て殺された人と向き合った態度は、「賞賛」ではなく、殺されるにいたった経緯とその不当性を 主張する根拠(藤場『読み解く』ではそれが『教行信証』全体の内容と指摘する)を明確にした 上での批判であった。もしここで親鸞が「賞賛」していたら、<殺し‐殺される>という関係の問 題よりも教えや教団の「犠牲」となったことばかりが注目され、殺された彼らが後につづく真宗 者の模範のように扱われることはあっても、弾圧の不当性はほとんど問題にされなくなる。
同様のことは戦死者や戦争に反対して殺された人々の死との向かい合い方においても言える
だろう。真宗は戦死や反戦を理由に殺されたことを「賞賛」する宗教なのか、あるいは<殺し− 殺される>という関係がどうして生まれたのかを検証し批判することによってそれら死者と向か い合う宗教なのか、親鸞の態度を見れば明白である。
殉死を「賞賛」する思想は「怨親平等」で「新しい戦死者の受け皿にはならない」ドイツの国立
追悼施設「ノイエ・ヴァッヘ」にも見られる。追悼碑文には、「我々は讃える、 良心を曲げるより はむしろ 死を受け入れたすべての人々を。」とある。なぜ殺された人々を「讃え」なければなら ないのだろうか。もし、戦争拒否をつらぬいて、その結果殺されたのだとしたら、それは悲しま れるとともに、なぜそのようなことが起こったのか検証し、批判されなくてはならないはずであ る。それは併設の施設でしている、と言ってみたところで、これはどう見ても特定の死を賛美し ている。それは、ナチスを克服した「新生ドイツ」が、自らの系譜をこの「良心」の人々に見出す ことで、今後のドイツという<国家>に殉ずる意味をここに見出しているからである。国家の政 治性と宗教性が交錯したところに生まれた言葉である。この人たちの勇敢な死を忘れず、「人 道的で平和的な国家」ドイツに敵対する「非人道的で軍国主義的な国家」と戦おう、ということに なる。ナチスに殺された人々の系譜に新しい国家を位置づけ、敵対する国家を「ナチスのよう な国家体制だ」と断定することで、ドイツ軍の軍事力行使が正当化されるのである。この施設 完成(1993年)後、ドイツは戦後タブーであったNATO域外への派兵(施設建設と平行して検 討。1999年コソヴォ紛争・2002年アフガン戦争に派兵)を行い、死者もでている。
政治性のない追悼施設を政治集団の典型である<国家>に造らせるなどというのは、荒唐
無稽である。国家による追悼施設は国家の政治性(特定の政権のものというよりも、もっと広 い意味で)と国民国家の宗教性が交錯する空間を作り出す。それが「仏式」で行なわれても、 だ。そのコンセプトが平和であれ戦争遂行であれ、全くの政治性をもたない国立の追悼施設を 国家に要求するのは日本国に<国民国家>、さらには<国家>であることをやめなさい、とい うようなものである。それこそ、靖国の「代案」云々以前にそのような「代案」を実現させる前提と しての<国民国家>の「代案」を用意しそれを実現する必要がある。
3、国立追悼施設問題と真宗者の態度〜信教の自由と国民国家〜
親鸞は「悲嘆述懐讃」でつぎのように言っている。
「五濁増のしるしには この世の道俗ことごとく
外儀は仏教のすがたにて 内心外道に帰敬せり」(註釈版618頁)
親鸞が問題とした「外道」とは、単に「外儀」=表面的「形式」が仏教に反するということでなく
て、その「内心」が仏教に背くものであることが窺える。したがって、儀式やそれがおこなわれる 施設の「形式」が「外道」(神道)のものであるか否かが批判の本質ではない。よりによって仏教 形式で「外道」への帰敬が行なわれるとしたら、それは「悲嘆」すべきものであり、「五濁増のし るし」なのである。
国家の宗教性という「外道」に帰敬しない(=介入されない)「神祇不拝」の営みとして国立追
悼施設反対の運動は必然的に生まれるものである。国立追悼施設反対の根拠はここにある。 真宗者を名のりながら国立施設を要求する立場には、国家の宗教性という「外道」に帰敬しな い「神祇不拝」の営みが欠落しており、<国民国家>の宗教性を認識していないか、あるいは 現実にはありえない宗教性がない<国民国家>を、何の理論的根拠もなしに想像しているの か、あるいは意図的に見て見ないふりをしているかのいずれかであろう。国家の宗教性を問題 にしないで、仏式の儀式が可能な国家の宗教性を体現する施設を要求するのであるから、意 識する・しないにかかわらず国家の宗教性にからめとられてしまう。気がつけば「外儀は仏教 のすがたにて 内心外道に帰敬せり」ということになってしまうのである。
では、私たちは<国民国家>にどう対処すればいいのだろうか。その鍵は<国民国家>が
標榜する基本的人権としての自由権と社会権の関係にある。自由権とは<国民国家>が関 わってはならない、あるいは介入してはならない個人の権利である。信教の自由や宗教的人 格権は当然こちらに属する。一方、社会権とは自由権を行使する前提として貧困や差別なしに 人間らしく生きる権利である。社会的な問題によって、自由権行使が困難になることを防止す るための権利であり、その擁護には<国民国家>が積極的に介入することが求められる。そ のため自由権と社会権が峻別されていないと、自由権への不当な介入を招くことになり、自由 権が侵害される。「信教の自由が守られた施設を国家に造らせる」というのは明らかに自由権 と社会権の混同である。国家が施設を造るのは社会権に属することがらである。病院・学校な どは社会権のための施設である。一方、死者の追悼というのは個人のプライバシー権であっ て、自由権に属する。基本的人権として国家が介入してはならない範疇なのである。もし、この 自由権を守るための社会権が考えうるとしたら、個々人が静かに死者の追悼ができるように、 経済的な問題や追悼に必要な休暇の保障といった労働問題を国家に解決させる権利である。
戦死者の遺族の場合、国家の経済的補償によってさらに国家に従属する精神構造を再生さ
せられている。これは社会権としての経済補償が「恩寵」とされることによって、本来社会権が 確保されることによって保障されるべき死者の追悼という自由権に属する問題に国家が介入し てしまっている。また、そこでは靖国と同様、いやそれ以上の選別が行なわれている。日本国 籍をもつ軍人軍属の遺族(例外として沖縄の地上戦で軍に協力した、とされる民間人死者の 遺族)のみが補償されるしくみになっており、空襲などでの民間人死者や軍人軍属であった韓 国・朝鮮籍の遺族には全くといっていいほど補償がされていない。そして、日本の侵略によって 非人道的行為の被害を被ったアジア諸国の人々への補償も行なわれていない。
国家がまず行なうべきは、これらの人々への補償である。これらの人々の死者を悼むにつ
いての「信教の自由」を確保するための社会権にもとづいた要求こそが個人の自由権と社会 権というそれぞれの基本的人権を確保するという<国民国家>と構成員との社会契約を遵守 させる態度であり、それは決して「信教の自由が守られた施設を国家に造らせる」という要求に よっては達成できない。追悼という自由権を保障する社会権としての施設だ、と主張したところ で、社会権のために内面の自由が犠牲(国家教義の内面化という機能を果たす)になるという 本末転倒した結果をもたらすので、自由権と社会権のどちらの理念にも合致しないからであ る。
私たちは、構成員の自由権と社会権の確保という社会契約を<国家>に常に突きつけ、
自由権への介入を徹底的に批判し、拒否し、その自由権の前提としての社会権を保障するこ とを求めつづけてゆくよりほかにない。社会権の保障のために精神の自由が侵害されることも 許してはならない。また、本来国家が介入できないのが自由権であるから、国家による信教の 自由侵害(靖国問題)について新たに国家がかかわるための「代案」を用意するなどというの は、こちらから国家に「介入してください」と人権を放棄する態度でしかない。
信教の自由は国家に介入されないことによって保障されるものであり、私たちの営みとしては
国家による介入を拒否しつづけてゆくよりほかにないのだ。
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