備後・靖念会 全日仏へ要望書

備後・靖念会 全日仏へ要望書

全日本仏教会会長
大谷光真様
                           2003年7月14日
              備後靖国問題を考える念仏者の会
                事務局長  小武正教

要 望 書

一、2003年2月4日付で、全日本仏教会が教育基本法「改正」を目指して出された『要  請
書』は、結果的に現在日本を「戦争の出来る国」へと押し進めている勢力を後押し  すること
になり、撤回されることを強く要望します。

一、全日本仏教会の要望書で提起された「宗教に関する知識や情操を涵養する宗教教育を 
 重視・実現することが必要」であるから、教育基本法第九条を改正せよとの要望は、  教育
基本法を「改正」して、「人間の力を超えたものに対する畏敬の念」を盛り込み、  「天皇への
敬愛」へ繋げようとしている考えを先取りするものとなるため、撤回され  ることを要望しま
す。

 教育における憲法ともいわれる教育基本法の見直しという動きの中で、中央教育審議会の
答申が2003年3月に出されました。その中教審答申の内容は、現在の教育基本法の「個人の
尊厳」「真理と正義」「個人の価値」「自主的精神」といった理念を、「国家や社会の形成者たる
国民の育成」というように国策を優先させた国益のための教育に転換させるものであります。
そのために新たに「伝統・文化の尊重」「国を愛する心」「新しい『公共』」「畏敬の念」「規範意
識」などの国家主義を導入する内容を盛り込み、見直し案には「21世紀を切り拓く心豊かでたく
ましい日本人の育成」というように、「日本人」という言葉を多用し、偏狭なナショナリズムを強
調するものとなっています。
  そうした意図をもって進められている教育基本法の「改正」を進める状況において、全日本仏
教会も教育基本法の「改正」を求める要望書を提出されることは、全日本仏教会の意図とは
別に、結果的には日本を「戦争の出来る国」へと押し進めることになります。

  また全日本仏教会が「宗教に関する知識や情操を涵養する宗教教育を重視・実現すること
が必要」であるとし、「日本の伝統文化の形成に寄与してきた宗教に関する基本的知識及び理
解は、教育上これを重視しなければならない」と要望書により提起されたことは、教育基本法
「改正」を目指す勢力が今回の中教審答申に盛り込もうとして盛り込めなかった内容と合致す
るものであります。つまり「改正」の中で、公なるもの、国家なるものを教育の中心に据えていく
ために、その背景として「人間の力を超えたものに対する畏敬の念」を「宗教的情操の教育」と
いう形で入れ込みたかったわけです。しかしこの場合の「畏敬の念」という「宗教的情操」とは、
実際には「神道的情操」であり、「縁」によってすべての存在が支え合うところに「本願」が見い
だされる仏教的な心情とは異なるものであることは銘記すべきであります。

  浄土真宗本願寺派から出ておられる石上智康全日本仏教会常務理事が、2002年12月14日
の京都の公聴会でも教育基本法「改正」の意見発表を述べられたり、また「無国籍の宗教教
育であってはならない」( 中外日報2003,5.29)と発言し宗教教育特別委員会の委員として、「改
正」に積極的に動いておられることは大変大きな問題であると考えます。
 本願寺派という教団内で、教育基本法「改正」についての議論がまったくなされたことがない
中で、たとえ別団体とは言え、会長が本願寺派門主・大谷光真、常務理事兼宗教教育推進特
別委員が宗会議長・石上智康となれば、個人で参加しているでは通るはずもありません。他か
ら見れば教育基本法「改正」の 旗振りを本願寺派としは是認していると考えるのは当然であり
ます。宗門内における公的立場をお考え頂くなら、宗門内の議論を全く置き去りにしての動き
は慎重であるべきではないでしょうか。
                      以   上
 


全日本仏教会常務理事
石上智康様
                           2003年7月14日
              備後靖国問題を考える念仏者の会
                事務局長  小武正教

要 望 書

一、2003年2月4日付で、全日本仏教会が教育基本法「改正」を目指して出された『要  請
書』は、結果的に現在日本を「戦争の出来る国」へと押し進めている勢力を後押し  すること
になり、撤回されることを強く要望します。

一、全日本仏教会の要望書で提起された「宗教に関する知識や情操を涵養する宗教教育を 
 重視・実現することが必要」であるから、教育基本法第九条を改正せよとの要望は、  教育
基本法を「改正」して、「人間の力を超えたものに対する畏敬の念」を盛り込み、  「天皇への
敬愛」へ繋げようとしている考えを先取りするものとなるため、撤回され  ることを要望しま
す。

 教育における憲法ともいわれる教育基本法の見直しという動きの中で、中央教育審議会の
答申が2003年3月に出されました。その中教審答申の内容は、現在の教育基本法の「個人の
尊厳」「真理と正義」「個人の価値」「自主的精神」といった理念を、「国家や社会の形成者たる
国民の育成」というように国策を優先させた国益のための教育に転換させるものであります。
そのために新たに「伝統・文化の尊重」「国を愛する心」「新しい『公共』」「畏敬の念」「規範意
識」などの国家主義を導入する内容を盛り込み、見直し案には「21世紀を切り拓く心豊かでたく
ましい日本人の育成」というように、「日本人」という言葉を多用し、偏狭なナショナリズムを強
調するものとなっています。
  そうした意図をもって進められている教育基本法の「改正」を進める状況において、全日本仏
教会も教育基本法の「改正」を求める要望書を提出されることは、全日本仏教会の意図とは
別に、結果的には日本を「戦争の出来る国」へと押し進めることになります。

  また全日本仏教会が「宗教に関する知識や情操を涵養する宗教教育を重視・実現すること
が必要」であるとし、「日本の伝統文化の形成に寄与してきた宗教に関する基本的知識及び理
解は、教育上これを重視しなければならない」と要望書により提起されたことは、教育基本法
「改正」を目指す勢力が今回の中教審答申に盛り込もうとして盛り込めなかった内容と合致す
るものであります。つまり「改正」の中で、公なるもの、国家なるものを教育の中心に据えていく
ために、その背景として「人間の力を超えたものに対する畏敬の念」を「宗教的情操の教育」と
いう形で入れ込みたかったわけです。しかしこの場合の「畏敬の念」という「宗教的情操」とは、
実際には「神道的情操」であり、「縁」によってすべての存在が支え合うところに「本願」が見い
だされる仏教的な心情とは異なるものであることは銘記すべきであります。

  浄土真宗本願寺派から出ておられる石上智康全日本仏教会常務理事が、2002年12月14日
の京都の公聴会でも教育基本法「改正」の意見発表を述べられたり、また「無国籍の宗教教
育であってはならない」( 中外日報2003,5.29)と発言し宗教教育特別委員会の委員として、「改
正」に積極的に動いておられることは大変大きな問題であると考えます。
 本願寺派という教団内で、教育基本法「改正」についての議論がまったくなされたことがない
中で、たとえ別団体とは言え、会長が本願寺派門主・大谷光真、常務理事兼宗教教育推進特
別委員が宗会議長・石上智康となれば、個人で参加しているでは通るはずもありません。他か
ら見れば教育基本法「改正」の 旗振りを本願寺派としは是認していると考えるのは当然であり
ます。宗門内における公的立場をお考え頂くなら、宗門内の議論を全く置き去りにしての動き
は慎重であるべきではないでしょうか。
                      以   上



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