鄭光均さん・真寛さん 詩

 鎮 魂 詩 《三千里》 鄭 光 均
       
山を越え  海を越え
 三千里を越えて この地に来た

決して選んだ地ではない
 騙され脅され連れられた
帰るに帰れぬ地獄への切符
 死の影だけが襲ってくる

昼も夜も無き カ仕事
 春夏秋冬 いつ終わるのか カ仕事
望郷だけの カ仕手
 死と引き替えの カ仕事

死んで御詫びがあるならば
 死して魂を伝えたい
殺されるんならば 仕方ない
 しかし 自らはえ死ぬことでない

あの夜鳥や
 蝶やトンボのように
羽根があれば今すぐ飛んで行きたい
 頭から銃弾を浴びてでも

雨の滴よ 雪溶け水よ
 朝露 夜露 涙露
その一滴が川の流れに海に出れば
 故郷行きのカモメに託し
−必ず きっと父母兄弟に逢える日を−

屍から生きた姿を想え
 屍 語る歴史の真実
屍 語る歴史の証明
 白骨ダムに残されて

今 ようやく
 心在る人々の手により
 萬感の願いが届く
 望郷の地へと辿り着く

山を越え 海を越え
 三千里を越えて
舎利となって
      帰ってきた    
   
≪鄭 光均さんのプロフィール≫
    慶尚南道統宮死市南井里 出身

・父は75歳で(日本国神戸市)他界.
   父の強制連行地は、九州 長崎 端島
   〈軍艦島として有名)であった。
・1945.8.5.広島県安芸郡畑賀にて光均氏が生まれる。
    く奇しくも原爆投下の前日〉
・本年7月6日 小武さんよりオカリナ演奉の依頼を受け、「高暮ダム強制連行を調査す る会」に参加。
  代表の福政さんをはじめ、会の方々の熱き思いに深く敬意と感銘を受ける。
◇ 本来であれば、謝罪追悼式に参加すべきであるが、昨年来の演奏会予約があり、参加
  不可能になりました。
   “鎮魂’の拙作詩を奉納いたします。皆様によろしくお伝えください。
                 2003.8,1.


追悼詩 58年を経て帰国した我が朝鮮の英雄よ
                             真寛(チン・グァン) 詩人
仏教人権委員会代表

日本の高暮ダム建設のために強制連行された朝鮮人
1940年3月15日 広島県比婆郡高野町の
 深き山奥で働き 死んだ朝鮮の英雄たち
 
 我々は その後朝鮮が分断され
 日本で死んだ我が祖先を祀れなかった恥ずかしさで
ここ分断の国で悲しく地を打ちながら泣く

我々は日本で死んだ数多くの労働者たちに関心を向けずにいるのに
こうして日本の市民たちが
 朝鮮人たちの肉身(むくろ)を探し出し 故郷に送ってくれたことに
 朝鮮人たちの肉身を抱いて慟哭せずにはいられない

 死んだ朝鮮人がいるのは高暮ダムの工事現場だけだろうか
 日本のどこかにいまだ目をかっと見開いている朝鮮人た
 その霊魂たちを我々はどうするのか
 解放され 帰国船に乗り 祖国に向かう海で
 霊魂となった朝鮮人たちを
 我々は眺めてだけいるのか
 日本の全国土で未だ呻吟している
 朝鮮の肉身(むくろ)たちを探さねばならない

しかし 我々が忘れていたことを語ってくれた日本人たちよ
高暮ダムの工事現場で死んだ朝鮮人たちの肉身(むくろ)を抱いてきた日本人たちよ 我が祖
先たちに示してくれた愛情を我々は忘れはしない
我が祖先たちを慈しんでくれた心を永遠に忘れることはできぬと言おう

日本の市民たちにもう一度敬意を表しつつ
いまだ深き山奥に隠されている朝鮮の肉身(むくろ)たちを探さねば
祖国の山川に 希望の山川に安らかにお祀りする地を作り
帰国する朝鮮の英雄たちを 我々は祀ろう
いまだ帰国できぬ数千の朝鮮人たちを
祖国の山川に返すようにしよう
日本人たちに 高暮ダム強制連行を調査する会に
もう一度敬意を表しつつ
いまだ見つけられていない朝鮮人たちの肉身(むくろ)を
日本の山川から見つけ出そうと訴える

2003年8月22日 望郷の丘で


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