8/20(水)
13:30頃
岡山グループと福岡グループ、合流。
2人の大学生と空港で待ち合わせることになっていたが、出発間際に到着時刻などの急な変
更があり、そのことが連絡不可能だったため、しばらく待つ。
14:20頃。
大学生等とも合流し、無事バス出発。添乗員:林春子(イム・チュンジャ)さん。
15:50〜16:10
サービスエリアにて休憩。それぞれにスナックなどを買い、トイレを済ませる。
17:20
ホテルに着く。温泉に入る
19:00
ホテルの1階レストランで夕食。チゲ(鍋)料理、ビール、真露(ジンロ:焼酎。少
し甘かった)など。
21:30
福政団長の部屋で23:00頃まで。
部屋に戻って同室のメンバーと少し談笑。
24:00頃
就寝。
8/21(木)
7:00
ホテルの電話のベル(モーニングコール?)で起床。
8:00
朝食に同室メンバーと1階に降りるも、レストランが団体貸し切りで不可。
外に出て田舎の食堂へ。着いてみると既にみなさん、バスで到着済み。
早朝、20名以上の突然の客の注文に、気のいいおばさんが一生懸命に作ってくれた。
海鮮チゲともう一つ(レバーのチゲか)の定食の2種類。
ボリューム満点でおいしい料理、田舎の人情にふれて、お腹も心も満腹。
9:50
予定を少し遅れてホテルを出発。曇。
10:50
国立墓苑「望郷の丘」に到着。作業班と別れる(作業班は明日の準備と打合せ)。
11:30〜13:40
「独立記念館」に到着。韓国と日本の歴史事実の記録に圧倒される。
記念館から食堂への移動時に、少し雨がぱらつく。
13:50
記念館前駐車場横の食堂で昼食。韓国冷麺(蕎麦風麺)、石焼きピビンバ、ビール等。
16:00〜17:40
私立民俗資料館。韓国と日本の民俗の“近さ”を感じ
る。また、日本とは違った儒教
の浸透の深さも感じた。
18:10
ホテルに到着。
18:40
明日参列するいくつかのグループと合同夕食会。指名を受けて乾杯を発声。
韓国の仏教人権委員会の真寛さん、雪谷(火の下に口?)さん等とも交流。
20:30
同室メンバーと懇談。
22:30
就寝。
8/22(金)
6:00
起床。入浴後、カップ麺で朝食。天気はいい。
8:00
法衣にて出発。
9:00
国立墓苑「望郷の丘」に到着。
韓国仏教人権委員会の3人と日本浄土真宗僧侶5人で式典打合せ。
10:00
式典開会(内容は式典パンフレット参照)
1) 阿弥陀経・念仏を合同勤行。参列者による献花。
2) 移動(路念仏。韓国・日本の僧侶が遺骨を抱いて。)
3) 謝罪碑除幕式(参列団体代表による除幕と碑文朗読)
4) 移動(路念仏。韓国・日本の僧侶が遺骨を抱いて。)
5) 納骨堂正面で焼香
6) 納骨堂2階にて納骨
1)で阿弥陀経・念仏を、韓国・日本の僧侶がそれぞれの国の言葉で合同勤行(韓国僧(比丘
尼)がモクタク(木柝?)、日本僧が節柝とキンを入れる)。式典堂内に韓国式の阿弥陀経と日 本式の阿弥陀経が異なるままに美しく響きあった。このような形式の合同勤行は、歴史的にも 初めてのことではないか。
100名ほどの献花で、しかも韓国参列者は三拝の丁寧な作法だったため予定よりも時間を要
した。
2)では韓国式・日本式でそれぞれ路念仏を称えながら移動。先頭に韓国僧(比丘尼)がモクタ
ク(木柝?)を打ちながら進み、その後に、韓国式にて韓日僧侶が2列で遺骨を抱いて運んだ。
4)の移動で納骨堂建物前に進んだ時、韓国のある被害者団体の2人が進路をふさぎ、「謝罪
は日本国政府がすべき。民間がすべきではない。」とプラカード(ハングル)をかざして主張。
それに対し、今回の式典に向け共同に準備を進めてきた韓国の人々(ハルモニたち)の中か
ら、「正式謝罪は日本国政府がすべきだというのは正当だ。しかし今回の民間による謝罪碑建 立は、日本国の責任を免責し代替わりしようとするものではない。加えてプラカードには保証金 問題のことが書いてあるが、それはここで持ち出すべき問題ではない。」としていくらか混乱(1 〜2分)。
しかし僧列は乱れることなく、ほどなく納骨堂に進み、一連の式次第を終えた。
上記、韓国の人たちの発言(主張)内容は、韓国語のできる日本人参加者の説明による。
式典には韓国・日本から100名をこえる人々が参列。テレビカメラ数台を含め、マス
コミも多数、取材に来ていた。
12:00
バスにて移動開始。
途中のサービスエリアで昼食。それぞれにピビンバ、冷麺など。
15:00
空港に到着。
大韓航空カウンターにて手続き後、岡山グループと福岡グループ、便が違うためお互
いに固い握手を交わしながら別れる。
(文章 斉藤 真)
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