斉藤真さんより  宗制「改正」について試案

宗制「改正」について

・手続の問題

本論に入る前に、「宗門の最高法規」に関する提案(意見を求める告示)としては、明らかに以
下についての手続きとしての不十分さや問題がある。

1)「改正」案提案に関する説明責任の不十分さ
2)「改正」案を「宗報」に示し意見を求める期間(約一ヶ月)の不十分さ
3)「宗報」の見出しが「報告」となっていることの問題
4)「改正」案作成過程における手続上の基幹運動軽視
5)「改正」案に関する意見提出の手続・方法が定められていないことの問題

【説明】
  「宗門の最高法規」に関する提案(意見を求める告示)ならば、ご門徒にもわかる経緯説明
と、案文についての提案理由の提示が必要であり、対照表の提示だけでは、説明責任の観点
から、いかにも不十分である。告示期間も年末の1ヶ月足らずでは、十分な検討に必要な期間
とは言えない。また「宗法」の見出しが「報告」となっており、一般的には決定事項の報告として
受け取られかねない表現となっており、積極的に意見を求める姿勢がうかがえない。
  「ご報告」の最初の文章には、「改正」作業に入ることになった理由として、「宗門関係者か
らは、『宗制』の規定内容について、各教区基幹運動推進委員会よりの建議をはじめ、数多く
の問題点が提起されるに至りました。」とあり、「各教区基幹運動推進委員会よりの建議」が重
要な意味をもったかに示されているにもかかわらず、その後の検討作業には、「法制および教
義関係の専門家」及び「宗門基本法規制定調査会」の関わりが示されているのみで、基幹運
動の組織的関わりが欠落している。さらにその前提として、「各教区基幹運動推進委員会より
の建議」で指摘された問題が何かが明らかにされなければ、「改正」作業全体の正当性を失う
ことにもなるのではないか。
  加えて、「改正」案に関する意見提出の手続・方法が定められておらず、このような不十分
さを残してまま新宗制の決定となった場合、教団全体の信頼をえた実質的な「宗門の最高法
規」となりえないことを危惧する。

・基本的問題点

1)教団の基本性格を示す「同朋教団」の語が削除されていること
2)門主の血脈相承の過度の強調があること
3)全体として基幹運動とりわけ同朋運動の願いから後退していること

【説明】
  法規「改正」作業においては、通常、現行法規の良い点と悪い点を精査し、良い点を継承し
つつ、現行法規が定められた時点から今日までの社会情勢の変化はもちろんのこと、教団自
体がその間に何を重要なこととして確認してきたか、あるいはそのことをふまえた今後におい
て何を重要なことと考えるのかといった観点を勘案しつつ検討されるべきである。
  その意味では、現行宗制にある「同朋教団」という語が削除されたことによって失われるも
のは、はなはだ大きいと言わざるをえない。門主の血脈相承の過度の強調(「前文」と「宗風」
においての重複表記がある)による教団の権威的体質の強化の傾向が感じられ、基幹運動と
して推進されてきた課題の観点からすれば、大きく後退したものとなっている。


・前文

> 本宗門は、親鸞聖人を宗祖と仰ぎ、その教えを信奉し、伝道する教団である。

●本宗門は、親鸞聖人を宗祖と仰ぎ、その教えを信奉し伝道する同朋教団である。

> それは、龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信和尚、源空上人の
> 七高僧の教えを継承し、展開された法義であって、信心正因・称名報恩の宗義を本とす
> るものである。

●それは、親鸞聖人が七高僧と仰がれた龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導 
  大師、源信和尚、源空上人の浄土教の教えを継承し、さらに展開された法義であっ
  て、信心正因の宗義を本とする。

> 宗祖の滅後10年を経て、その息女覚信尼は宗祖の門弟たちと共に、京都東山の大谷に仏
> 閣を建て、聖人の御遺骨と御影像を安置し、遺弟たちの崇敬の中心とされた。

●宗祖の滅後10年を経て、その息女覚信尼は宗祖の門弟たちと共に、京都東山の大谷に仏
  閣を建て、聖人の御遺骨と御影像を安置し、遺弟たちの崇敬の中心とした。

> その廟堂を本願寺と名付け、宗門の中心寺院と定められたのは、第3代宗主覚如であった。

●第3代宗主覚如は、その廟堂を本願寺と名付け、宗門の中心寺院と定めた。

> 第8代宗主蓮如は、本願寺を山科へ移転して中興された。

●第8代宗主蓮如は、本願寺を山科へ移転して中興した。

> その後寺基を大坂の石山等へ移すことがあったが、第11代宗主顕如のときに、京都堀川
> 六条に寺基を定められて現在に至っている。

●その後寺基を大坂の石山等へ移すことがあったが、第11代宗主顕如のときに、京都堀川六
  条に寺基を定め、爾来、本願寺住職を門主として次第相承し、現在に至っている。
  (参照:「宗風」の最初)

以下、上記をふまえた「前文」の全文*****

 本宗門は、親鸞聖人を宗祖と仰ぎ、その教えを信奉し伝道する同朋教団である。
 宗祖親鸞聖人は、『顕浄土真実教行証文類』を著し、浄土三部経のうち、特に『仏説無量寿
経』を真実教と定め、そこに開示されている阿弥陀如来の本願の教えを浄土真宗と名付け、
本願力回向を基軸とする二回向四法の教義体系を確立された。これが浄土真宗の立教開宗
である。それは、親鸞聖人が七高僧と仰がれた龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、
善導大師、源信和尚、源空上人の浄土教の教えを継承し、さらに展開された法義であって、信
心正因の宗義を本とする。
 宗祖の滅後10年を経て、その息女覚信尼は宗祖の門弟たちと共に、京都東山の大谷に仏
閣を建て、聖人の御遺骨と御影像を安置し、遺弟たちの崇敬の中心とした。第3代宗主覚如
は、その廟堂を本願寺と名付け、宗門の中心寺院と定めた。第8代宗主蓮如は、本願寺を山
科へ移転して中興した。その後寺基を大坂の石山等へ移すことがあったが、第11代宗主顕如
のときに、京都堀川六条に寺基を定め、爾来、本願寺住職を門主として次第相承し、現在に
至っている。

以上*****

【説明】
先ず、教団の基本性格を示す最初の一文に「同朋教団」を明示した。
また、これまで教義の骨格ともされてきた「信心正因・称名報恩」との表現を見直し、「信心正
因」の一つとした。これまでも「称名報恩」は、称名を正因とする異義に対して述べられたもの
であり、教えの唯一の独自性を示すには「信心正因」の一つによるべきであることによる。
さらに、本願寺縁起に係る事柄については、客観的史実表現にとどめることを意図した。



・第1章 教義

> 真実の教とは、『仏説無量寿経』であり、真実の行とは阿弥陀如来より衆生にめぐまれ
> た本願の名号南無阿弥陀仏である。

●真実の教とは、『仏説無量寿経』であり、真実の行とは阿弥陀如来より衆生にめぐまれた本
  願の名号すなわち南無阿弥陀仏である。

> 真実の信とは、本願の名号を疑いなく信受することをいう。

●真実の信とは、本願の名号を信受して疑いのないことをいう。

> 如来回向の名号をいただいた信心は、仏の大智大悲の心であるからよく往生成仏の正因
> となる。

●如来回向の名号をいただいた信心は、仏の大智大悲の心であるからよく往生成仏の正因と
 なるのである。

> 信心を獲た時に往生は定まり正定衆に住する。

●信心を獲た時に往生は定まり正定衆に住し、煩悩具足の凡夫のままに、真実の教に導か
  れる生活となる。

> 信心は称名となって生涯相続するものであり、この称名は仏恩報謝の営みである。

●信心は称名となって生涯相続されるものであり、この称名は往生の正因ではなく、仏恩報謝
  の営みと言うべきである。

> これを信心正因・称名報恩といい、浄土真宗の宗旨とする。

●これを信心正因といい、浄土真宗の宗旨とする。

> 真実の証とは真実報土に往生し、慈悲と智慧の円満した無上仏果を得ることをいう。

●真実の証とは、真実報土に往生し、慈悲と智慧の円満した無上仏果を得ることをいう。

> 浄土に往生して仏果を得れば、おのずから大悲を発し、生死の迷界に還り来たって自在
> に衆生を済度する。

●浄土に往生して仏果を得れば、おのずから大悲を発し、生死の迷界に還り来て自在に衆生
  を済度する

以下、上記をふまえた「第1章 教義」の全文*****

第1章 教義

 浄土真宗の教義の大綱は、『顕浄土真実数行証文類』に顕わされた本願力による往相・還
相の二種の回向と、往相の因果である教・行・信・証の四法である。
 真実の教とは、『仏説無量寿経』であり、真実の行とは阿弥陀如来より衆生にめぐまれた本
願の名号すなわち南無阿弥陀仏である。真実の信とは、本願の名号を信受して疑いのないこ
とをいう。如来回向の名号をいただいた信心は、仏の大智大悲の心であるからよく往生成仏
の正因となるのである。信心を獲た時に往生は定まり正定衆に住し、煩悩具足の凡夫のまま
に、真実の教に導かれる生活となる。信心は称名となって生涯相続されるものであり、この称
名は往生の正因ではなく、仏恩報謝の営みと言うべきである。これを信心正因といい、浄土真
宗の宗旨とする。真実の証とは、真実報土に往生し、慈悲と智慧の円満した無上仏果を得る
ことをいう。
 この真実の四法は、阿弥陀如来より衆生にめぐまれた往生成仏の大道であり、これを往相
回向という。浄土に往生して仏果を得れば、おのずから大悲を発し、生死の迷界に還り来て自
在に衆生を済度する。その大悲のはたらきがめぐまれることを還相回向という。往相も還相も
如来大悲の本願力回向の利益であり、すべての衆生が救われていく誓願一仏乗の大道であ
る。

*****

【説明】
「信心正因・称名報恩」を「信心正因」一つに改めたことは先に述べた。
ここではさらに、現代社会の中に浄土真宗の教えをいただいて生きる者(教団)の社会的責任
を明らかにする観点から、浄土真宗念仏者の生活が(煩悩具足の凡夫ではありながらも)その
真実の教えに導かれるものであることを明確にした。



第2章 本尊

> 本宗門は、教法弘通の恩徳を報謝するため、宗祖、七高僧、聖徳太子及び歴代宗主の影
> 像を安置する。

●本宗門は、教法弘通の恩徳を報謝するため、宗祖、七高僧、聖徳太子、第8代宗主蓮如の
  影像を安置する。

以下、上記をふまえた「第2章 本尊」の全文*****

第2章 本尊

本宗門の本尊は、阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)である。
本宗門は、教法弘通の恩徳を報謝するため、宗祖、七高僧、聖徳太子、第8代宗主蓮如の影
像を安置する。

*****

【説明】
ここでは、一般寺院の荘厳様式を勘案し、「歴代宗主」とされていたところを「第8代宗主蓮如」
のみにとどめた。「第8代宗主蓮如」像も安置すべきではないとも考えられるが、現在の一般寺
院の安置様式から考えて、「第8代宗主蓮如」影像を除いた時、そこにかわって安置される影
像としては先ず「聖徳太子」が考えられ、そうなるよりも現在の様式に準じることの方が望まし
いと考えた。このことについては、さらに論議が必要である


第3章 聖経

> 上記のほか、宗祖の教えを伝承し発揮された覚如宗主の撰述、及び蓮如宗主の『御文章
> 』等、並びに宗祖や蓮如宗主が信心の鑑として敬重された典籍は聖教に準ずる。

●上記のほか、宗祖が信心の鑑として敬重された典籍は聖教に準ずる。

以下、上記をふまえた「第3章 聖教」の全文*****

第3章 聖教

本宗門の正依の聖教は、次のとおりとする。

一 浄土三部経

仏説無量寿経  康僧鎧訳
仏説観無量寿経 ■良耶舎訳(■=「僵」の人偏を除く)
仏説阿弥陀経  鳩摩羅什訳

二 七高僧の論釈

十住毘婆沙論  龍樹造 鳩摩羅什訳
浄土論     天親造 菩提流支訳
往生論註    曇鸞撰
讃阿弥陀仏偈  曇鸞撰
安楽集     道綽撰
観経疏     善導撰
法事讃     善導撰
観念法門    善導撰
往生礼讃    善導撰
般舟讃     善導撰
往生要集    源信撰
選択本願念仏集 源空撰

三 宗祖の撰述

顕浄土真実数行証文類
浄土文類聚鈔
愚禿鈔
入出二門偈
浄土和讃
高僧和讃
正像末和讃
三経往生文類
尊号真像銘文
一念多念文意
唯信鈔文意
如来二種回向文
弥陀如来名号徳
御消息、その他の撰述及び文書

上記のほか、宗祖が信心の鑑として敬重された典籍は聖教に準ずる。

以上*****

【説明】
基本的に、親鸞聖人の撰述及び宗祖が信心の鑑として敬重された典籍を「聖教」とした。その
他の歴代宗主などの典籍は教学研究などの際には不可欠のものと言えるかもしれないが、一
般的に「聖教」とすることには困難な点があると考えた。


第4章 宗風

> 本宗門は、本願寺を本山とし、宗祖親鸞聖人を初代、その孫の如信を第2代、宗祖の曾
> 孫覚如を第3代とし、爾来宗祖の子孫を門主(宗主)として次第相承されてきた。

●(削除)参照「前文」末

> 本宗門は、宗祖の教えに従って、阿弥陀如来の本願を信じて念仏の大道を歩み、現世祈
> 祷を行わず、自身の煩悩を漸塊しつつ、自他共に怨親平等の浄土への往生を期する同信
> 同行の集いである。

●本宗門は、宗祖の教えに従って、阿弥陀如来の本願を信じて念仏の大道を歩み、現世祈祷
 を行わず、自身の煩悩を漸塊しつつ、自他共に怨親平等の教えをいただく生活を喜び、滅後
 には浄土への往生を期する同信同行の集いである。

> 本宗門の僧侶、寺族及び門徒は、真の念仏者として非僧非俗を標傍し生きられた宗祖の
> 行跡を慕い、常に報恩謝徳の懇念に基づいて、同一に念仏し、聞法と伝道に努める同行
> であり、同朋である。

●本宗門の僧侶、寺族及び門徒は、真の念仏者として非僧非俗を標傍し生きられた宗祖の行
 跡を慕い、常に報恩謝徳の懇念に基づいて、同一に念仏し、聞法と伝道に努める同行であ 
 り、御同朋である。

> 本宗門は、万人に向かって平等に開かれており、本宗門に属する人々は、宗祖の導きを
> 仰ぎ、国家や民族や思想・信条の違いを超えて、生きとし生けるすべてのものに慈しみ
> の心をもって接することのできる社会の実現を目指すものとする。

●本宗門は、万人に向かって平等に開かれており、本宗門に属する人々は、宗祖の導きを仰
  ぎ、国家や民族や思想・信条の違いを超えて、生きとし生けるすべてのものに慈しみの心 
  をもって説かれた教えによって導かれる御同朋の社会の実現を目指す。

以下、上記をふまえた「第4章 宗風」の全文*****

第4章 宗風

 本宗門は、宗祖の教えに従って、阿弥陀如来の本願を信じて念仏の大道を歩み、現世祈祷
を行わず、自身の煩悩を漸塊しつつ、自他共に怨親平等の教えをいただく生活を喜び、滅後
には浄土への往生を期する同信同行の集いである。
 本宗門の僧侶、寺族及び門徒は、真の念仏者として非僧非俗を標傍し生きられた宗祖の行
跡を慕い、常に報恩謝徳の懇念に基づいて、同一に念仏し、聞法と伝道に努める同行であり、
御同朋である。
 本宗門は、万人に向かって平等に開かれており、本宗門に属する人々は、宗祖の導きを仰
ぎ、国家や民族や思想・信条の違いを超えて、生きとし生けるすべてのものに慈しみの心をも
って説かれた教えによって導かれる御同朋の社会の実現を目指す。

以上*****

【説明】
「教義」のところでも述べたように、現代社会の中に浄土真宗の教えをいただいて生きる者(教
団)の社会的責任を明らかにする観点から、浄土真宗念仏者の生活が(煩悩具足の凡夫では
ありながらも)その真実の教えに導かれるものであることを明確にするように努めた。


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