2002年8月25日、高暮ダムで第4回の謝罪追悼法要を行った。東大阪・防
府・広島・福山・大朝町などからの参加があり、代表の福政康夫氏は来年8月 に、祖国へ遺骨の返還と謝罪碑建立を挙行したいと挨拶した。
当時このダムで労働し脱走に成功した朴泳根(パクヨンレ)、謝罪追悼法要へ
の感謝と同僚への哀悼、遺骨の祖国返還・謝罪碑建立の成功を記したメッセー ジを送ってこられた。
西善寺小武正教住職の読経の流れる中、全員が献花し、ダム中央から犠牲
者を偲んで花をダム湖に投下した。目を閉じれば60年前と同じように、セミの 鳴き声がこだましていた。
午後からは西善寺で追悼集会を開いた。企業を訴訟できるほどの聞き取りが
出来ているのか、会の運動の広め方について提起があった。聞き取りは、建設 当時の実態の証言には至っておらず、渡韓調査も必要だが、韓国内で運動の 理解者と協力者が必要である。
謝罪碑建立のためにはもっと運動を広めなくては実現しないのではとの意見
が出た。
今回の第4回謝罪追悼集会は、いままでより参加者が少なかったが、継続す
ることが大切であり、一つ一つの積み重ねが他の運動団体との共鳴を呼び、共 通課題を相互に運動を共有しあっていくことができよう。
94年11月、朴泳根さんが脱走後初めて高暮ダムで証言された。「望まぬ異
国での犠牲とはさぞ無念であったであろう。あなた方日本人の手で、一刻も早く 陽の当たる場所に出してやってほしい。のぞむなら魂を祖国に帰してやってほ しい」と。
長い時間を要したが、遺骨返還・謝罪碑建立という大きな目標に向かって活
動が動き出した。 (塚本勝彦)
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