靖念会通信 仏暦2547年 5月 NO153
代表 池田静思
最初の「要望書」のときからすると、福山市長の三好章とは3回、私はこの件で話し会った。
現時点で言えることは、市内の単位町内会に対して、集金依頼の方法・言い方に僅かな変化 が現れた程度で、全く無視はしていないという巧妙な対応ぶりである。
たとえば、
1.要請文中より「まとめて」という言葉のみを削除して、「全員強制」の集金依頼をし
ていないと言い訳をする。
2.「初穂料の納金」の方法を、各農協支店の振り込み口座に指定する。なぜ、地元の農
協なのか。
1.福山市町内会連合会長・小田喜士夫からの町内会に対する直接依頼文を削除し、あた
かも町内会連合会とは無関係を装い、各単位町内会長に宛て、肩書きは付けず、奉賛 会 より「郵送」に替えている。町内会長個人を「委員」と位置づけているようである が、その説 明はいっさいなされていないから、受け取った町内会長は従前通りに対処 するであろう。
以上のほか変化は見られず、奉賛会長(市長)町内会組織を通じて、備後護国神社の「初穂
料」が徴収されるという仕組みは、全く改変されていない。
本質的に、一地方自治体の長といえど、一宗教法人に対して、公権力にあずかる者が加担
してはならないと定めた憲法第20条、「政教分離」原則に明らかに違反している。
念のため、第20条は次のように規定している。
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を
受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
ところで、三好章・福山市長は備後護国神社趣意書に、奉賛会長として、次のように述べて
いる。
備後護国神社奉賛会趣意書
当神社は旧福山藩主阿部正垣公が明治元年五月国事に際して尊い身命を捧げられた備
後出身の方々を斉 されたのが起源で、明治三十四年七月官祭招魂社に列し昭和十四
年四月から備後国一円七市八郡の護国神社と指定せられ、近くは旧県社阿部神社と合
祀して由緒ある神域に備後護国神社として鎮座になりました。従って御祭神は悉く国
家永遠の安泰の為、又社会人類平和の為、その生命を捧げられた方々なのであります
。その尊い御霊を敬仰しその御祭を盛大に執り行い永遠に安らけく御鎮まり給わんこ
とを御祈り申し上げることは私等備後住民の斉しく冀うところと信じます。
依って備後護国神社の崇敬及び維持団体として奉賛会を結成し御祭神敬仰並に神社奉
賛の為、祭 を初めとして神社の維持を助成し其の他必要な事業を実施致しまして益
々御社頭の御隆昌に寄与したいと念願する次第であります。
何卒以上の識旨に御賛同の上皆様方の絶大なる御協賛を切願するものであります。
先の大戦中、海軍航空隊にあこがれ、福山市の東部、当時は大津野村と呼ばれていたが水
上機飛行場を見に行き、志願して整備士となり、鹿児島県・鹿屋の海軍航空基地で敗戦を迎 えた。故郷の駅屋町に帰り、呆然自失のなか戦後復興に立ち上がり、政治に情熱を傾けて今 日に至っていると、語る姿は真剣そのものであった。
いかに軍国少年であったにしろ、それはやはり個人的体験である。無謀な戦争の結末は、国
の内外に数百万人の戦死者を生み、ポツダム宣言を受諾し、連合国に対して降伏したのであ る。
憲法第20条1項「信教の自由」を担保するために、同条3項「政教分離」の原則は欠かせな
いのである。かつて戦前の“政教一致ー大政翼賛”の体制がもたらした国家・公権力の人権抑 圧への深い歴史的反省から、未来に向け貴重な教訓として、新しい日本国憲法に“思想及び 良心の自由” (第19条)に続けて、次の第20条で宗教上の「信教の自由」に及び、「政教分離」 原則を定めて、国権・公権力の関与を戒めたのである。
三好章という個人がいかなる宗教を信仰するか、それをとやかく言うのではない。市長の職
責にある者が、特定の宗教法人、それも護国神社の奉賛会長となり、町内会組織を利用して お金を集めるということが許されないのである。
備後護国神社は、宗教法人の登記事項要約書によれば、1957(昭和32) 年3月11日法人とし
て成立した。「目的等」の欄には、次のようにある。
目的
大彦命を主神に國家公共につくした人の神霊を奉斉し、公衆礼拝の施設を備え、
神社神道に従って、祭祀を行い、祭神の神徳をひろめ、本神社を崇敬する者及
び神社神道を信奉する者を教化育成し、社会の福祉に寄与し、その他本神社の
目的を達成するための財産管理、その他の業務を行うことを目的とする。
その護国神社の奉賛会とは、宗教法人の信者団体であるから、その規約はあるはずで、そ
れを見せてくれと要請しても、宮司(江種宏之)は公開しようとしない。奉賛会長の市長(三好 章)に依頼すれば、まさか一般市民に公開できないとは言わないであろう。
備後護国神社奉賛会よりの依頼要請文は、次の通りである。特定の個人や団体に宛てたも
のにはなっていない。
《この文章の後には、初穂料の総額が656万円で、福山市内分 412万円、町内分244万円で
あるとし、神社会計を歳入・歳出の部別に数項目を分けて示し、総決算額(平成13年度) として 1738万円を報告している。》
拝啓 益々御清栄の段大慶に存じ上げます。
陳者備後護国神社の事につきましては何時も御高配を蒙り有難く厚くお礼申しあげ
ます。
扨、本年も十月二十三日秋季例大祭を執行致しますが、靖国神社、護国神社の実情は
皆様方ご承知の通りでありますので、備後一円の皆様方にお縋りしお願いする外に道
がありません。出費御多端の折柄誠に恐縮の至りですが、三万余柱の英霊の安鎮と奉
賛の真心として左記金額の初穂料の奉納を仰ぎ祭事も滞りなく盛大に執行致したく存
じますので、御多忙中甚だ勝手なお願いで申し訳ありませんが事情ご了察の上献奉下
さる様絶大のご協力を切に懇願致します。
尚、出来ますれば十月十五日頃までに、御都合のよい下記の農協支所口座にお納め下
さいますよう万事宜敷くお願い申し上げます。
希望額 一世帯当たり 百円以上
平成十四年九月 日
神社側の奉賛会は戦没兵士を《三万余柱の英霊》 と言い、奉賛会長(市長)は趣意書で《そ
の尊い御霊》 と微妙に言い分けて、「その御祭を盛大に執り行い永遠に安らけく御鎮まり給わ んことを御祈り申し上げることは私等備後住民の斉しく冀うところであります」とは、まさしく国家 神道そのものであり、かつての「大政翼賛」思想そのものではなかったのか。
さて、昨年の2回にわたる申し入れに対しても、市長・奉賛会長側の反応は、全く不十分で不
誠実であった。
今年1月23日の対応で、市長室課長より伝えられた市長の意向は「前回(9月30日)までに私
の思いは十分に話したので、今後は会うつもりはない」というものであった。
これまでも書面による回答を避けたうえに、今後も話し合いに応じないのなら、『公開質問
状』の形で回答を迫るしかないであろう。
その内容を検討する前に、昨年7月の「申し入れ書」のことで、付け加えておきたい。
憲法第89条の「政教分離」の原則ーという箇所が3箇所あるが、「憲法第20条」に規定された
「政教分離」の原則は“信教の自由”を個人の基本的人権として確立する立場からのものであ り、「憲法89条」 は財政制度面から「政教分離」を規定したもので、第20条と89条とは、オモテ となり、ウラとなり、両面から人間の自由を国家・公権力から擁護しようとしているのである。
そこで、改めて三好章・福山市長に質問したいことを整理してみたい。
@三好章福山市長は、備後護国神社の奉賛会長を引き受けられているが、憲法第20条が規
定する「政教分離」の原則に違反しています。直ちに会長を辞任すべきである。どう対処さ れるおつもりか。
A福山市民に町内会組織を通じて、備後護国神社への「初穂料」の集金を依頼する以上、そ
の 「奉賛会規約」を同時に開示すべきである。
神社側の会計報告(歳入・歳出)のみでは判断できないからである。どう対処されるか、 説
明していただきたい。
B奉賛会長として、単位町内会長・個人に対し、書類を郵送して「初穂料」集金事務を依頼して
い る。町内会長に町内会組織を通じて、特定の宗教的活動を支援するように要請すること は、市 長職にある者のするべき行為を逸脱している。憲法第89条に抵触している。
また、福山市は行政上、公民館活動などを通じ、「町内会」とつながつている。その つなが
りをどの範囲まで行うのか、具体的に説明していただきたい。
ほぼ以上のことを思いつくのであるが、とにかく文章での回答を引き出すべく、マスコミ報道
にも期待したい。市民の意識喚起と福山市長の対応を見ながら、次の手を打ちたいものであ る。三好章市長は、7月には、4選を目指して選挙戦になるそうである。対抗する候補にも、こ の問題をぶつつけてみると展開がおもしろくなるだろう。
福山市長(三好 章)に対する申し入れの経過
備後護国神社と町内会の関係を考える会
(代表) 池田静思
◇1997年2月 備後護国神社・宮司(江種宏之) に面会し話し合う。
5月 福山市長に面談の上「要望書」を手渡す。
(代表・山崎絹子ほか4名)
◇2002年7月22日 福山市長に「申し入れ書」を渡す。池田以下5人出席
7月23日小田喜士夫福山市町内会連合会長、江種宮司に配達証明つきで「申
し入れ書」を郵送。
8月末日 何の返事もなし。
9月初旬 代表の池田の住む町内会の会長宛に、奉賛会より「初穂料」の集
金依頼が郵送される。
9月25日 市長室秘書課におもむき、9月30日までのご返答を再度要望。
9月26日 三好章市長より代表池田宅へ電話あり(池田不在)
9月30日 午前10時30分再び市長秘書課へ。市長が面会してもよいとのこ
とで約60分対談する。
◎9月30日の市長の回答の内容
*あくまで「三好章」個人として奉賛会長を引き受けている。
*「宛職」としてではない。また「慣例上」 ということでもないと、2002年7月22日の
申し入れ時の発言わ修正。
*県知事さんの中でも1/3は各県の護国神社の奉賛会長をしているとも言う。
*5年前の私たちの申し入れで、町内会の全ての人からの徴収は改めている。佐賀・鳥
栖のようなお金を出さない人を排除するようなことはやっていない。
*町内連合会からの要請は今回からはしにないように改めた。これまでほぼ半分ぐらい
の町内会が集金に応じていると聞いている。
*備後護国神社への「初穂料」は市内町内会だけでなく、備後一円の市町村にもお願い
し集金してもらっている。
*集金区域は陸軍41連帯の兵員召集区域だが、神社に祀ってある戦没者は陸軍将校
やこの地域出身ばかりとは限らず、ミレオン島など他部隊との編成連隊の犠牲者とか
福山海軍航空隊関連も含まれて3万余柱となっていること。
*市長の生い立ちから、14・15歳より海軍航空隊に志願したこと、戦後の政治活動・家族
のことに多くの言を弄した。
*顧問弁護士とも相談の上で返事をしているとのこと。
◇2002年12月9日 佐賀市に「佐賀の自治体神社管理費拒否訴訟」 の弁護士(東島浩
幸)を3名で訪ねる。
12月24日 福山市長に対する「再度の申し入れ書」を市長室長(広本)に
手渡す
2003年1月23日 1ヶ月の期限が過ぎても連絡がないので、市役所に行くと(代
表池田)広本課長より市長の伝言。
その後、福山市長との面談をもうしいれたまま現在にいたる。
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